最近、インドネシアの友人からChatGPTと行った会話について話を聞く機会があった。友人はインドネシア語を使い、厄介な親族間トラブルにどう対応すべきかを尋ねたという。するとChatGPTは流暢なインドネシア語で、対話の方法やトラブルの解決策についてアドバイスを返してきた。文法には全く問題がなく、口調も適切だった。だが、何か違和感が残ったという。
AIが提示したアドバイスは、アメリカ的な文化を前提としたものだった。自分自身の意志を最優先し、考えを率直に伝え、親族が踏み込んではいけないラインを超えてくるようであれば、関係を断つことも検討せよ、というものである。
回答はインドネシア語で返ってきたが、個人の自由や自律を重視する価値観によって裏付けされている。しかしインドネシア社会でより重視されるのは、合意形成や社会的調和、家族全体の関係性である。
違和感を覚えた友人は価値観のズレに気づき、私に話してくれた。だが、多くの利用者は気づかないかもしれない。こうした問題意識から、私は主要なAIシステムを調べ、共通するパターンを発見した。それは、大規模言語モデルが複数の言語を流暢に扱えたとしても、西洋的な世界観を持ち続ける傾向があるということだ。私はこれを「認識論の持続(epistemological persistence)」と呼んでいる。研究成果は、学術誌『International Review of Modern Sociology』に掲載された。
「言語能力=理解度」ではない
私は30年以上にわたり、インドネシアの社会やメディア、文化について研究を続けてきた。そのため、ある問題を高い視座から捉えることを可能にしている。その問題とは、ChatGPT、Claude、Geminiといった大規模言語モデル(LLM)は数十の言語を驚くほど流暢に操るものの、流暢さが故に、文化も理解しているかのような印象を与えることだ。これは、インドネシアに限られた問題ではない。