株価は「惨敗」
日本製鉄の株価が低迷している。メディアが「世紀のM&A(合併・買収)」と囃し立てた米鉄鋼大手USスチールの買収から間もなく1年。米大統領ドナルド・トランプ(79)の口車に乗り、141億ドル(約2.2兆円)の買収費に追加投資110億ドル(約1.7兆円)が加わって、投資総額は251億ドル(約4兆円)に膨れ上がった。しかし、USスチールの業績は浮揚せず、低迷したまま。老朽化したモンバレー製鉄所(ペンシルベニア州)の爆発事故などが災いし、日鉄が買収初年度(連結対象期間は2025年7月〜2026年3月の9カ月間)に見込んでいた800億円の利益貢献は雲散霧消。さらにコスト改善策の目玉だったグラニットシティー製鉄所(イリノイ州)の閉鎖計画は「黄金株」を持つ米政府の意向で撤回に追い込まれてしまった。
一方、巨額のM&A資金を捻り出すために大ナタを振るった国内製鉄所の再編計画も分厚い壁に直面している。最大のプロジェクトである九州製鉄所八幡地区(福岡県、旧八幡製鉄所)の電炉転換は莫大な電力調達にメドが立たないうえ、二酸化炭素(CO2)排出量を抑えた電炉製造の高価な「グリーン鉄」の需要開拓が難航。先行き視界不良にもかかわらず、4月15日に高炉から電炉への転換工事(完成予定は2030年)の起工式が行われた。投資額は約6300億円を見込んでいるが、エネルギー価格や建設コストのインフレは天井知らずで「従前の資金枠では到底収まらない」(地元関係者)と指摘されている。
こんな“内憂外患”の状況下で株価が伸びるはずもない。2026年6月1日現在の日鉄株価は549.6円(終値)。1年前、141億ドル(約2.2兆円)もの巨費を投じた米鉄鋼大手USスチールの買収を完了した当日(2025年6月18日)の終値541円(注)を僅かに上回っているものの、同じ期間に代表的な株価指数である日経平均株価が38,885円15銭から66,934円33銭へ1.7倍強も膨れ上がっていることを考えれば、現状の日鉄の株価は「惨敗」と酷評されて然るべきだろう。【注:2025年6月18日の日鉄株価は2,705円だったが、同年9月末に1株→5株の株式分割を実施したため、調整後の値を表示】
「私が45年前に新日本製鉄に入社した時は世界一の鉄鋼メーカーだったが、順位をどんどん下げていた。もう一度世界で復権する」
「日本にとっても米国にとっても良いことで買収には大義名分がある」
USスチールを傘下に収めた翌日の記者会見で日鉄の会長兼最高経営責任者(CEO)である橋本英二(70)はこう胸を張ったが、今ではその“勝利宣言”が虚ろに響く。
八幡の電炉転換も“逆風”と“誤算”だらけ
橋本は熊本県立人吉高校から一橋大商学部へ進み、卒業した1979年に新日本製鉄(当時、現・日本製鉄)に入社。30代前半で米ハーバード大ケネディ行政大学院に留学し、1988年に公共政策修士(MPP=Master of Public Policy)の課程を修了している。ビジネスエリートにとって一般的な経営学修士(MBA=Master of Business Administration)ではなく、政府・国際機関などに職を得て政策分析能力を発揮するMPPの学位を修めたところが橋本のキャリアの特長といえる。
2019年4月に社長に就任した橋本は、5年の社長任期を終える4カ月前の2023年12月にUSスチール買収の意向を表明した。世界の鉄鋼市場の過半を占める中国メーカーの安値攻勢に苦しんだ橋本は2021年の年明け以降、赤字体質脱却のため国内設備・人員の大規模なリストラ計画を発表。高炉を15基から10基に、年間粗鋼生産能力を5000万トンから4000万トンにそれぞれ減らし、さらに向こう5年間で1万人を超える要員の合理化(人員削減)によって「年間5000億円を超える事業利益をコンスタントに出せるメドが立った」とした。この収益力改善があればこそ「世紀のM&A」をはじめとする日鉄の反転攻勢のシナリオが現実味を帯びたのである。
ところが、そのシナリオが揺らいでいる。5月13日に発表した2026年3月期(通期)の事業利益は前の期(2025年3月期)に比べ25%減の5141億円。かろうじて5000億円台はクリアしたものの、2月5日の第3四半期決算発表時までは、事業利益の通期予想は4200億円にとどまっていた。さらに、この第3四半期決算発表時には前の期に3502億円の黒字を計上していた最終損益が700億円の赤字に転落するとの見通しを公表。2025年12月に起きた北日本製鉄所室蘭地区(北海道室蘭市)での爆発・火災事故による400億円の減益要因なども見越して打ち出した数字だった。
3カ月後の通期決算発表で、最終損益は円安に伴う在庫評価益や為替差益の押し上げ効果で171億円の黒字になったものの、株価は「赤字予想からの黒字転換」には反応せず、むしろ1週間後の5月20日には539円の年初来安値を付けた。
日鉄の財務の現状をみると、株価が好転しないのも無理はないとわかる。USスチールの巨額買収や米製鉄所への追加投資で出費が嵩み、2026年3月期の連結有利子負債は5兆1742億円と前年同期の2兆5075億円から倍増。決算記者会見で社長の今井正(63)は「いよいよUSスチールの収益貢献が出てくる」と2027年3月期に1000億円の利益貢献を見込んでいることを強調したが、トランプ政権が口火を切ったイラン攻撃によるエネルギーコスト上昇や高品質鋼材の最需要先である自動車メーカーの業績不振など波乱要因がてんこ盛りで、先行き不透明感を払拭できない。
国内に目を向けると、4月に起工した九州製鉄所八幡地区の電炉転換を巡り、建設コスト膨張の懸念だけでなく、稼働後に必要な巨大電力需要をどう賄うのか、メドが立っていないことを危ぶむ声も広がっている。同製鉄所のある北九州市では大規模データセンター建設計画が相次ぎ浮上している。中でも、2025年12月に公表された米不動産会社APL(アジア・パシフィック・ランド)グループが主導する九州最大級の「VOLTAプロジェクト」(総受電容量12万kW、2026年着工、29年竣工予定)が注目の的なのだが、同プロジェクトには日鉄興和不動産が事業パートナーとして参画。地元関係者の間では「日鉄の系列会社が八幡の電炉と電力を奪い合うプロジェクトになぜ名を連ねているのか」とクビを捻る向きがある。
八幡の電炉で生産する「グリーン鉄」(製造時の二酸化炭素排出を大幅削減した鋼材)の需要見通しが急減していることも不安材料。第2次トランプ政権以後の欧米での脱炭素機運の低下を背景に、欧州鉄鋼大手アルセロール・ミタルがドイツのブレーメン、アイゼンヒュッテンシュタットの両製鉄所で計画していた「水素製鉄」導入計画を中断するなど、「グリーン鉄」に対する逆風が吹き荒れている。“誤算”だらけの日鉄の反転攻勢シナリオをCEOの橋本は果たして立て直せるのか。