「防衛産業への積極投資」ではない
ベルリンの壁崩壊後、多くの人々は、市場経済と自由民主主義の勝利を確信した。
冷戦の終結は、自由市場とグローバル化の拡大をもたらした。しかし、その後の世界は必ずしも期待された方向には進まなかった。エンロンやワールドコムに象徴される企業不祥事、リーマン・ショックに代表される金融危機は、市場が自律的に規律されるという楽観論に疑問を投げかけた。
その結果として展開したのが、コンプライアンス、コーポレートガバナンス、そしてESG(環境、社会、ガバナンス)といった概念の浸透である。
ESGは環境問題(Environmental)や社会貢献(Social)の文脈で語られることが多い。しかし、その本質は市場を統治(Governance)するための制度である。企業活動を可視化し、情報を開示させ、それを投資家や規制当局が評価することで、企業行動を望ましい方向へ誘導する。その意味でESGは、資本市場を通じたガバナンスの仕組みである。
そして現在、同様の発想が安全保障の領域にも及び始めている。
近年、欧州を中心に「責任ある防衛投資(Responsible Defence Investment)」という議論が急速に広がっている。これは防衛産業への投資を単純に推進する議論ではない。どの企業が、どの技術を、どのような管理体制の下で開発しているのかを評価し、その結果を投資判断へ反映させようという試みである。
この動きは一見すると防衛産業だけの話に見える。しかし実際には、AI、半導体、宇宙、クラウド、サイバーといった幅広い産業に関係する可能性を秘めている。
防衛はなぜESGの外側にあったのか
防衛産業は長らくESGの枠外に置かれてきた。理由は、倫理的なものというよりは、制度的なものがより大きかったのではないかと思われる。
ESGが対象としてきたのは、市場経済の内部で活動する企業であった。環境負荷、人権、企業統治、サプライチェーン管理など、市場参加者としての企業行動を規律することが主な目的である。
これに対し、防衛は本質的に国家活動である。軍事組織は利益の最大化ではなく安全保障を目的とし、効率性よりも冗長性や即応性を重視する。兵器とは、人に危害を加え、インフラを破壊し、強制力を行使するための装置である。
そのため、防衛は、市場が内部化すべき対象ではない「外部経済(externality)」として扱われてきたと言った方が正確だろう。国家の存立や安全保障は市場価格によって決定されるべきものではなく、そのコストやリスクもまた国家が引き受けるものと考えられてきたのである。
しかし、この前提は急速に崩れつつある。
消え始めた「軍」と「民」の境界
ウクライナでの戦争は、その変化を象徴している。
商用衛星通信、民間衛星画像、クラウド基盤、AI、無人機、オープンソース情報――現代の戦争を支える技術の多くは民間企業によって提供されている。
もはや安全保障は、防衛企業だけによって支えられているわけではない。テック企業、通信事業者、半導体メーカー、データ企業、ベンチャーキャピタル、クラウド事業者などが巨大な安全保障エコシステムの一部となっている。その結果、安全保障と企業活動の境界は日に日に曖昧になっている。
さらに重要なのは、戦争そのものを取り巻く法的環境も変化していることである。20世紀前半までの国際法において、中心的概念の1つであった「戦争」は、パリ不戦条約(1928年)に始まる戦争違法化以後、徐々に後景へ退いた。代わって、自衛権、武力行使、武力攻撃、武力紛争、対テロ作戦といった概念が重層的に用いられるようになった。
平時と有事、軍事と民間の境界が曖昧になるのと並行して、「どこからが戦争なのか」という境界そのものもまた消え始めているのである。
市場が国防を評価し、規律する
こうした変化を背景に、欧州では「どのような防衛産業なら投資対象として認められるのか」という議論が始まった。最近公表された「責任ある防衛投資」の原則では、国際人道法、人権デューデリジェンス、AIガバナンス、デュアルユース技術、輸出管理、サプライチェーン安全保障などが投資判断の対象として挙げられている。
ここで重要なのは、投資家が単に「防衛産業に投資するか否か」を判断しているわけではないという点である。