<span>われら、「一中崩れ」の面々 庄司薫との思い出</span>
撮影 新潮社写真部、1973年11月17日

われら、「一中崩れ」の面々 庄司薫との思い出

2026年9月6日

今年4月、庄司薫氏が逝去した(享年88歳)。1958年、東京大学在学中に本名・福田章二名義で発表した小説で中央公論新人賞を受賞し、学生運動が社会を揺るがせた時代の高校生の心情を描いた青春小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」で芥川賞を受賞。同作をはじめとする「薫くん4部作」は大ベストセラーとなったものの、その後は寡作をつらぬき、「和製サリンジャー」の趣きもあった。そんな庄司氏と都立日比谷高校で同窓だった作家の塩野七生氏が思い出を綴る。庄司氏と同じく芥川賞受賞作家である古井由吉氏も同級生。華麗なる日比谷高校の思い出とは。

『文藝春秋』誌には今でも、「同級生交歓」と銘打った写真ページがあるが、あれは昔からあった。そのときの一つが東京都立日比谷高校の「同級生交歓」で、各界の有名人を集めるのが普通の他校とはちがって、われわれのときは作家だけであった。五十年も昔のことだから、古井由吉も庄司薫も私も四十代に入ったばかり。それでも古井クンと庄司クンの二人は芥川賞をもらっていてすでに有名人。古井クンは「純文学の顔」といった感じで。庄司クンのほうは、『赤頭巾ちゃん気をつけて』とそれにつづく諸作をミリオンセラーにしたりすることで。

 われら三人が学んだ時期の都立日比谷高校は、今とはちがって、名実ともの進学校であったのだ。中学時代には勉強しなくても学年の五、六番ではあった私が、日比谷に入ったとたんに最後の三分の一の成績になり、さすがに父兄会に行った母が先生から、ここには全国から一国一城の主たちが集まってきているのです、と言われてびっくりしたと、帰宅後に話したくらい。とはいえわが家ではびっくりはしても親も子も、その状態の改善に努めたわけではなかったのだが。

 というわけであの時代の日比谷高生のほとんどは、越境入学であったはず。私とは家が近かった庄司薫はもちろんのこと、古井クンもそうであったにちがいない。私でも住民票を父の友人の神田の本屋に移して、日比谷に入学できたくらいだから。

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