『文藝春秋』誌には今でも、「同級生交歓」と銘打った写真ページがあるが、あれは昔からあった。そのときの一つが東京都立日比谷高校の「同級生交歓」で、各界の有名人を集めるのが普通の他校とはちがって、われわれのときは作家だけであった。五十年も昔のことだから、古井由吉も庄司薫も私も四十代に入ったばかり。それでも古井クンと庄司クンの二人は芥川賞をもらっていてすでに有名人。古井クンは「純文学の顔」といった感じで。庄司クンのほうは、『赤頭巾ちゃん気をつけて』とそれにつづく諸作をミリオンセラーにしたりすることで。
われら三人が学んだ時期の都立日比谷高校は、今とはちがって、名実ともの進学校であったのだ。中学時代には勉強しなくても学年の五、六番ではあった私が、日比谷に入ったとたんに最後の三分の一の成績になり、さすがに父兄会に行った母が先生から、ここには全国から一国一城の主たちが集まってきているのです、と言われてびっくりしたと、帰宅後に話したくらい。とはいえわが家ではびっくりはしても親も子も、その状態の改善に努めたわけではなかったのだが。
というわけであの時代の日比谷高生のほとんどは、越境入学であったはず。私とは家が近かった庄司薫はもちろんのこと、古井クンもそうであったにちがいない。私でも住民票を父の友人の神田の本屋に移して、日比谷に入学できたくらいだから。