「DNA」という言葉が科学の文脈を離れ、日常の語彙として確固たる地位を築いているのは、みなさんご存知のとおりです。ビジネスシーンでは「我が社のDNA」とか、スポーツシーンでは「我がチームの攻撃のDNA」とか、地域性では「ねぶた囃子を聞くと津軽衆のDNAがじゃわめぐ」などと(ちなみに私は津軽在住です)、かつて使われていた「魂(ソウル)」や「血(ブラッド)」といった言葉にすっかり取って代わった感がありますね。DNAは語感も良かった。強くて、発音しやすく、きっぱりとした音の連なりです。もしもこれがRNAだったら、ここまで普及することはなかったのでは?
「生命の設計図」としてのDNAの構造と役割が解明されたことは科学上の大きなブレークスルーでしたが、それだけにとどまらず、文化面への影響も甚大でした。なにしろ、DNAは親から受け継いだ自分らしさの根幹であり、私たちを構成する37兆個ほどの細胞のうち核をもつものすべてに、判で押したように同じDNAが入っている、と思われていましたからね。これを読んでいるあなたも、そう思っていませんか?
DNAのイメージを変える!「シングルセル解析」
しかし、ここ10年ほどで、そんなDNAのイメージが大きく変わりつつあります。そうなったのは、次世代シークエンサーなどテクノロジーの進展により、細胞ひとつひとつのDNAの塩基配列(A[アデニン]、T[チミン]、G[グアニン]、C[シトシン]の4種類の塩基の並び)を調べられるようになったためです(シングルセル解析)。以前は、細胞集団をひとまとめに調べていました(バルク解析)。バルク解析では、個々の細胞にしか存在しない変異は平均化されて見えにくくなり、両親から受け継いだ塩基配列が浮かび上がります。結果として、すべての細胞のDNAが同じであるかのように見えていたのでした。
私たちはみんなモザイクだ!
異なるDNAをもつ細胞が集まった状態を「モザイク」と言います。10年ほど前までは、モザイクは病気や異常の原因として、もっぱらネガティブなニュアンスで語られていました。しかしここ数年で、モザイクであることは、私たちの自然な姿らしいとわかってきたのです。(Nature誌 We are all mosaics.)
あなたがこうしてこの記事を読んでいるあいだにも、あなたの遺伝子は刻々と変化しています。細胞分裂が一度起こるたびに60億文字(ATGCの並び)をコピーしなければなりませんが、私たちの体内にある精緻な修復システムをもってしても、数個から数十個のエラーは残ってしまいます。成人では毎秒400万個ほどの細胞が新たに生じるため、毎日膨大な数のコピーミスが生じます。それが日々積み上がることで、私たちは徐々に複雑なモザイクになっていくのです。
進化論的観点に立つ、がん治療の新機軸
かつて腫瘍は、比較的少数のドライバー変異(がん化を直接促す重要な遺伝子変異)のためにがん化すると考えられていました。しかしシングルセル解析が可能になったおかげで、実は腫瘍は、多様なゲノムをもつクローンの集合体であり、集団ごとに生き残りをかけた競争を繰り広げていることがわかってきたのです。
ところで、「クローン」と言うと、どこかとぼけた羊の顔が頭に浮かぶ人もいるかもしれません。しかし、ここで言うクローンは、人為的に個体をまるごと複製することではなく、「標識となるなんらかの突然変異を境に、それ以降に生じた細胞の集団」という意味です。標識変異は共有するけれど、その後さらに枝分かれして(サブクローン)、それぞれのサブクローンがまた変異を蓄積していく……というのが、今日のクローン進化のイメージです。
そんな体細胞モザイクと進化生物学的研究の進展を背景に、「最大耐量で一律にがん細胞を叩く」という従来のがん治療のパラダイムに対し、「適応療法」という、「叩かない」アプローチが提唱されています。一律に叩いて、結果的によりタチの悪い薬剤耐性クローンの出現を招いてしまうよりは、比較的おとなしい薬剤感受性クローンを支援して、生存競争をさせるほうがいいのでは?という考え方です。クローン間の競争に介入するためにはデリケートな調整が必要ですが、有望なデータも出ており、現在、いくつかのがん種で臨床試験が進められています。
自己免疫疾患にも、クローンの進化生物学的アプローチ
がんが、免疫機構をすり抜けてがん細胞が暴走してしまう現象だとすると、自己免疫疾患は、免疫システムそのものが暴走して自分の体を攻撃してしまう現象です。免疫システムの有効性という軸で見れば、がんと自己免疫疾患は、「効かない」と「効きすぎ」という、対極的な現象と見ることができます。
しかし近年、体細胞モザイク研究の進展により、がんと自己免疫疾患は地続きで、むしろ統一的に理解したほうがいいのでは? という考え方が出てきました。実際、いくつかの自己免疫疾患については、クローン間の生存競争という枠組みで説明されるようになっているのです。たとえば、加齢に伴い特定の遺伝子変異をもつ血液細胞が異常に増殖する「クローン性造血(血液細胞のモザイク化)」は、血液細胞の中で起きているまさに局所的な進化であり、これが免疫システムを狂わせる原因として注目されています。そのほかにも2020年に命名されたVEXAS症候群は、発症機序自体がクローン競争として説明されている典型的な例です。
がんの適応療法と同じく自己免疫疾患の場合も、無差別に叩く(全身免疫抑制をする)代わりに、「おとなしい(免疫の働きを押さえる)」タイプのクローンを支援して、攻撃的な(自分の体を攻撃する)病原性クローンとの生存競争に勝たせようというアプローチが提案されています。ここ十年ほどの体細胞モザイク研究の進展が、どれかひとつの疾患を超えて、統一的な治療思想(免疫生態系のマネジメント)を生みつつあると言えるかもしれません。
私の中の進化
かつて体細胞突然変異やモザイクは、病気や異常と結びつけて語られていました。たしかにそういう面はあります。しかし、モザイク性は、私たちの自然な姿であり、生物としての生き方そのものとも言えそうです。モザイクであることの意味と影響を明らかにしようと、大きなプロジェクトも始まっています。
2023年、米国国立衛生研究所(NIH)は、5年間で総額1億4000万ドルの予算を投じ、人間の体内の正常な細胞における遺伝的変異を調査するプロジェクト、SMaHT(Somatic Mosaicism across Human Tissues:ヒト組織を縦断する体細胞モザイク現象)を創設しました。このプロジェクトの主要な参加者の一人は、出発点となる考え方を、こう表現しています。「私たちが受精卵だったときのゲノムは、死ぬときのゲノムとは大違いだ」
シングルセル解析により大きく変貌しつつあるゲノムのイメージですが、この変化は、日常語彙としての「DNA」の使われ方にも影響を及ぼすのでしょうか? 「我が社のDNA」という言葉が、単一性を匂わすモットーではなく、「多様な個性がせめぎ合いながら進化していくモザイクな組織」を意味するようになる日は、そう遠くないのかもしれません。