<span>「伊藤忠商事」を「トップ商社」に成長させた「岡藤正広会長」の人心掌握術</span>
16年にわたって伊藤忠を率いる岡藤正広会長

伊藤忠商事を三菱商事や三井物産に伍する規模にまで成長させた立役者が、岡藤正広会長(76)であることは疑いの余地がないだろう。彼はいかにして「万年4位」と言われた状況を脱することに成功したのか。最側近が見た「カリスマ会長」の実像と人心掌握術とは。

起源は近江商人・伊藤忠兵衛がはじめた行商

「やっぱり総合商社は資源やらなあかん」

 伊藤忠商事の岡藤正広会長最高経営責任者(CEO)がそう述べたのは、今年5月8日。アナリスト向け業績説明会の席でのことだ。

「さらなる成長に向けて選択肢を広げる、という意味合いが強いとみています」

 と、語るのは総合商社の専門誌『週刊ブレーンズ』編集長の小淵良樹氏である。

「同社は今後の成長イメージとして2027年度の連結純利益1兆円(26年7月8日開催のIR Day)を掲げ、その先も右肩上がりの利益成長を見据えています。その実現に向け、26年度の投資枠を従来の1兆円から1兆5000億円へ拡大しました。引き続き非資源を軸としながらも、一段上の成長を実現するため、銅やウランなど資源案件も含めた幅広い投資機会を追求する姿勢を示したものと考えられます」

 伊藤忠商事の起源は、1858年、近江商人である初代伊藤忠兵衛が始めた行商である。

「財閥系として戦前から国家事業を担い、資源分野に強みを持つ三菱・三井に対して、伊藤忠商事は呉服や生地といった繊維商品の販売を通して成長を遂げてきました。同社が、私たちの生活に近い『川下ビジネス』を主戦場としてきたのは、歴史的経緯から言っても自然なことなのです」(『経済界』編集局長の関慎夫氏)

 戦後は徐々に非繊維分野へと手を広げるようになり、

「特に第1次オイルショック後の1977年、10大商社に数えられていた安宅(あたか)産業を吸収合併したことは、非繊維分野の事業を拡大するきっかけとしては大きかった。この買収により、安宅産業が持っていた鉄鋼事業という強みを獲得するに至り、鉄鋼分野のさらなる拡大を実現したのです。これによって伊藤忠商事は総合商社として大きく躍進することになりました」(同)

 とはいえ、その後、三菱商事や三井物産に伍する規模に成長するまでの道は決して平坦ではなかった。

 バブル崩壊後、総合商社はいずれもその処理に追われることになったが、伊藤忠も例外ではない。

「うちも多額の負債を抱え、赤字を垂れ流し、配当金も0円。会社の存続自体が危ぶまれていました。そんな最中、98年に社長に就任したのが丹羽宇一郎さん。伊藤忠の歴史上、最も厳しい時代に社長を務めた人物と言えるでしょう。彼は99年10月、『20世紀に起きたことは20世紀中に処理する』として、バブル崩壊で生じた4000億円規模の不良債権の一括処理や大リストラを断行したのです」(伊藤忠OB)

 結果的に大赤字を計上することになったが、

「その後、ファミリーマートへの出資や子会社の『CTC(当時の伊藤忠テクノサイエンス)』の上場による評価益などで、01年3月期は、当時として過去最高の705億円の最終利益を出してV字回復を果たしました。丹羽さんが負債を整理してくれたおかげで、後継の小林栄三さんが社長を務めた04年から10年は“リハビリ期間”とでもいうべきものになりました」(同)

 不良債権処理と大リストラ、その後のリハビリ期間を経て、ようやく稼ぐ体制が整ったわけである。

「そこで満を持して社長となったのが、岡藤さんです。まさに『稼ぐことそのもの』のような存在ですが、彼は自分の持ち味を生かせる絶好の流れで社長に就任したと言えます」(同)

連結純利益で首位になった年の「お墓参り」

 では、10年に社長に就任してから現在までの間に伊藤忠の株価を12倍(一時は14倍)にした岡藤氏の持ち味とはいったい何なのか。

「岡藤の一番の強みは、非常にベタで分かり易い人間であること。そこに尽きると思います。経営の真髄を、誰もが分かる言葉で表現して社員をついて来させる。その能力が突出しているのです」

 そう語るのは、伊藤忠の元副社長執行役員CAOで現在は顧問を務める小林文彦氏。岡藤氏が社長に就任したのと同時に執行役員となり、今年3月に退任するまで岡藤氏を側で見続けてきた人物である。

「岡藤の社長就任時には、伊藤忠は純利益、時価総額、平均年収などあらゆる指標で『万年4位』と言われていました。そこからスタートした岡藤は分かりやすい表現を用いて社員をリードし、5大商社における序列を逆転していったのです」

 例えば、社長に就任したばかりの岡藤氏が経営改革の合言葉とした「か・け・ふ」。

「三菱商事や三井物産に比べて社員数が3割近く少ない伊藤忠がトップ争いをするにはただ『かせぐ』だけでは足らない。経費や無駄な意思決定プロセスを『けずる』。そして投資による損失が生じるリスクを『ふせぐ』ことが必要と考え、その頭文字をとって社員に浸透させたのです」(同)

 目標設定の上手さも岡藤氏の特徴だという。

「みんなが頑張れば何とかなりそう、という絶妙な水準に目標を設定して社員を頑張らせる能力がものすごく高いのです。最初は、万年4位だった現状を受けて、『御三家』(三菱商事・三井物産・伊藤忠)に入る、という目標を掲げ、それを社員の前やメディアなどで繰り返しました」(同)

 そうして11年度に連結純利益で住友商事を上回って業界3位に浮上すると、

「次に唱えたのが、三菱商事と伊藤忠を指して『2強』。2強、2強、とあらゆるところで繰り返して、それが実現すると、今度は『トップ商社』と連呼するようになりました。そして、連結純利益でトップになったら、その次は時価総額と自己資本利益率(ROE)を加えて『商社3冠』。社員全員に伝わる表現を選び、着実に会社の成長を牽引してきたのです」(同)

 5大商社の中で伊藤忠が初めて連結純利益でトップとなったのは15年度。

「岡藤は毎年、京都の東山にある初代および2代目伊藤忠兵衛のお墓参りに行くのですが、連結純利益で首位になった年の墓参りは非常に岡藤らしかったです。その年の岡藤は初代忠兵衛さんのお墓の前で、いつにも増してすごく長い間手を合わせていたのです。心の中で忠兵衛さんに何かを語りかけているのが分かりました」(同)

 岡藤氏が顔を上げたところで小林氏が「ずいぶん長い間、何をお話しされていたんですか?」と聞くと、

「岡藤は感慨深そうに『いやあ、忠兵衛さんも驚いてるやろなあ!』と言うのです。『わしみたいな、こないなチンピラが、商社にっぽんいちになりました、って報告したんやで!』と。ものすごく迫力のある言い方でした。これには仰天しましたね」

 岡藤氏の言葉を聞いた瞬間、小林氏の頭の中で、初代伊藤忠兵衛から岡藤氏までが一本の線で繋がったような感覚があった。

「本当に鳥肌が立ちました。岡藤としては、伊藤忠の先人たちのおかげで自分がいる。彼らが積み重ねた、その先にいる自分はこんなチンピラだけど、必死で頑張っているんです、という真摯な姿勢が岡藤にはあるのだと気づきました。こういう面があるから、彼は魅力的なのです」

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