<span>「私と宮沢賢治」――作られた神話からの解放</span>

宮沢賢治が生誕してから今年で130年を迎えた。岩手県花巻市に生まれ、作家であり、詩人であり、地質学、農学にも詳しかった東北の偉人。37年という短い生涯の中で生前、出版された作品はわずか2作だったが、草稿は夥しいほど遺され、示唆、教訓、深い批評精神を伴いながら、今なお我々を揺さぶり続けている。『宮沢賢治 デクノボーの叡知』(新潮社)で2020年、「角川財団学芸賞」「宮沢賢治賞」をダブル受賞した文化人類学者で批評家の今福龍太さんは、この節目の年に何を思うのか。

不幸な神話化

 小学校や中学校で扱う教科書には必ずといっていいほど、宮沢賢治の作品があります。『注文の多い料理店』のような童話かもしれないし、『雨ニモマケズ』といった詩かもしれない。だから、賢治との最初の出会いは教科書だったという人が多いはずです。

 でも、その年代で、教科書から直接関心を抱いて本を買ったり、どこかで借りたりして読んでいくかというと、そういった子供はあまりいないのではないでしょうか。もちろん、関心を抱く子供もいたかもしれませんが、例外的に思います。

 学校の教科として与えられるものは、基本的にお勉強の一環で、特に『雨ニモマケズ』は教訓的な形で読まされるケースが非常に多い。「一人の人間としての謙虚な徳」みたいなものを。宮沢賢治という像を固定化させてしまい、教訓的なものの中で読み取って、賢治を神話化させていくわけです。

 そういう中で、子供たちが本能的に興味を持つかというと、どうでしょう。特に国語の教科書に出てくる素材は、最初から、そのような枠組みの中で作られていて、先生に与えられている。我々がそんな風に賢治と出会ってしまいがちなのは、不幸なことかもしれません。

賢治との出会い

 僕と賢治の出会いはというと、はっきりとは覚えていません。教科書で興味を持ったという記憶もありません。どこで知ったのか、思い出せないのですが、中学、高校ぐらいから意識はしていました。『春と修羅』。この詩集は非常に謎めいていて深いのですが、様々な言葉に惹きつけられました。

 僕自身、その頃、東北に惹かれていたのも興味を抱いたことと関係があると思います。北方志向というか、辺境へのロマンティシズムなんですけど。中学3年ぐらいから東北に一人旅をしていましたから、親も心配したでしょうね。

 賢治が生まれた岩手、花巻を一人旅の中で“風土”として経験するようになり、単に書物の中だけではない賢治を意識するというか、どうしてこの東北という風土が、彼のような特異な人間を生み出したのか、考え始めたんです。

 僕は中学から山岳部で、東北の山によく出掛けました。登ってみると、ただ単に山を登るというだけではなく、賢治がこんなことを自然現象の中に感じ取っていたのではないか、と身近に感じるようになりました。

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