「未完」という視点
宮沢賢治はいろんな意味で不遇で、生前、本になったのは詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』の2冊だけでした。無名ですし、売れなかった。その後、いろんな人が彼の凄さを知って、残された膨大な手書き原稿を編集しながら書物として広めていきました。ですから、今、我々が読んでいる宮沢賢治の作品は、原稿用紙だけではなく、いろいろな紙の表裏に一見乱雑に書きつけられた無数の断片的な草稿を、後の編者たちが苦労して読みとり、繋ぎ合わせたものなのです。
賢治は『銀河鉄道の夜』を少なくとも3回、大幅に書き直していました。だから、バージョンが4つぐらいある。これもひと繋がりの原稿用紙にずっと書いてあるものではない。別の童話草稿の裏を使ったり、それを切り貼りしていたり。その状態で手入れがなされてもいるから本当に判読しにくい。これを全部、編者たちが解読して、これはこうやって繋がっていくのだろうと推測し、「銀河鉄道の夜」という一貫した物語にして、今僕たちが読んでいる。
ただ、それは、賢治が書いた「そのもの」ではないわけです。欠落部分は、書き足すわけにはいかないから、そこは読みづらくならないように前後をうまく処理している。そのようにしていま読まれている「銀河鉄道の夜」は、だから「未完」の作品です。最後は、かなり唐突に、プツリと終わっている。
彼が残したもののほとんどが未完であり、手書きの断片ばかり。僕はもう一回そこに戻って、賢治を読み直してみよう、未完成のものとして読んでいこうと考えました。そういう読み方は、これまであまりなされていなかった。こうすることで、今まで感じ取られていなかった可能性を発見できるかもしれない、と。