まるで、SNSで論争を巻き起こす言論人の原型だ。竹内洋著『メディアと知識人――清水幾太郎の覇権と忘却』(中央公論新社)を読み進めていく途中、そんな感想が自然と浮かんだ。
清水幾太郎(いくたろう)は「進歩的知識人」の代表格として知られる社会学者・作家である。戦後日本の平和運動に寄与した彼は、現在ならば「リベラル」とカテゴライズされる存在だろう。が、同書から浮かび上がるのは、言論人としてもっと複雑な清水の在り方である。
2012年に出版された同書のあとがきには、執筆動機として「いまをときめくメディア知識人の原型として、さらには戦後史を考えるうえでこれほど適格な人物はいないと思ったからである」とあるが、その狙いを超え、SNSでのし上がろうと画策する言論人・政治家・インフルエンサーたちの祖型が浮かび上がってくる。
大人しく黙っているだけでは、傍流は本流には勝てない。だからこそ、本流が我が物顔で生きる村社会や界隈から離れ、転覆戦略という名のリスキーな勝負を仕掛ける動機が生じる。文字通り、本流たちの地位を「転覆」させようとするため、激しい攻撃が生じることも珍しくない。
昨今、こうした動きはSNS上で頻繁に目にすることができる。SNS上のインフルエンサーたちが、大手マスメディア、キャリア官僚、高名な学者などに向ける、批判の域を優に超えた罵詈雑言の類には、傍流による転覆戦略が多分に含まれるとみてよい。
転覆戦略と聞くと物騒に思えるが、実はそれなりの合理性どころか正当性さえある。経営人類学者の日置弘一郎による著書『「出世」のメカニズム 〈ジフ構造〉で読む競争社会』(講談社)を読むと、人の能力が必ずしも正当に評価されない理由がよく分かる。
仮に今、十人の新入社員の「潜在的」な能力が上から順に100、98、96、96……92といったように、どんぐりの背比べであったとする。だが、その能力が数値通りに「顕現化」するとは全く限らない。ひとたび仕事で高評価を得れば、また別の仕事の機会を得ることで、さらに能力を「顕現化」する機会を得るといった正の循環が生じるからだ。
その結果、潜在的な能力ではどんぐりの背比べだったとしても、実績や評価は一位に大きく集中し、二位、三位と順位が下がるにつれて急速に小さくなっていくことがある。こうした、順位が下がるにつれて値がおおむね反比例するように小さくなる分布はジフ分布と呼ばれ、様々なケースにおいて確認されている。極端に単純化すれば、一位が受ける評価(顕在化した能力)が100なら二位は50、三位は33、四位は25といった具合である。つまり、潜在的な能力では一位と二位にほとんど差がなかったはずなのに、最終的な評価では倍近い差がつくことさえある。一度得た評価が次の機会を生み、その機会がさらに評価を生むことで、当初の小さな差が拡大してしまうのだ。これが同書の副題にある「ジフ構造」である。
こうした分布は、ごく一部のトップたち(本流)からすれば能力以上の評価を得ていることになるので、必然的に現行制度を維持する振る舞いが合理的になる。いきおい、村社会や界隈であれば、そこに横たわるルールや慣習が不当であるとしても守り続けるという消極的な姿勢こそが、出世のための最適解になりやすい。
一方、不当に低い評価を得ている傍流からすればどうだろうか。このまま村社会や界隈のルールを守る理由が薄いばかりか、保守的になり村の因習にとらわれる本流を「転覆」する正当な理由さえ生まれるのではないだろうか。その意味では、SNSにて転覆戦略を試みる人々のなかにも、正当な理由がある場合はもちろん存在する。そしてまた、SNSが同戦略にとって有効なツールであることは論を俟(ま)たない。
しかし、そこに罠はないのだろうか。本稿では、傍流による禁じられた教養である「SNSを用いた転覆戦略」のリスクについて考えていきたい。
正系的傍系の知識人
1907年、清水幾太郎は現在の東京都中央区に生まれる。東京帝国大学文学部社会学科を卒業後、同大学社会学研究室副手(助手の下の職)に就任。帝大教授への道が開けたかのように思われたが、折り合いの悪かった指導教授から辞職勧告を受け、ジャーナリズムの世界に転身する。1949年、清水は学習院大学の教授に就任するが、主戦場は大学の外にあったといってよい。以後、全学連に肩入れしつつ安保闘争に参画し多大な影響力を発揮するなど、進歩的知識人としての立場を不動のものとしていく。
そんな清水に対し、竹内は前掲『メディアと知識人』にて、正系的傍系とカテゴライズしている。学歴としては「正系的」だが、下町出身の清水はその出自をもって「傍系」であるという。実際、清水自身にもインテリは山の手のものであるという認識があったようだ。
一方、山の手育ちで東京帝国大から同大教授に就任した丸山眞男は絵に描いたような正系的正系(本流)であり、竹内が論じる「転覆戦略」におけるターゲットになる。なお、下町出身で東京工業大学を卒業し終生在野で活躍した吉本隆明は、傍系的傍系として整理されている。
さて、そんな傍流として、本流の教授は手を突っ込みにくい政治運動に参加し、名声をとどろかせた清水だったが、左翼陣営の衰退により停滞を余儀なくされる。その後、言論の対象や言論そのものを変えていくなかで、進歩的知識人・清水は驚きの論を発し世間をあっといわせた。かつてマルクスを論じた進歩的知識人・清水が、あろうことか核武装論を掲げるのである。
『諸君!』一九八〇(昭和五五)年七月号に掲載された論文「核の選択――日本よ 国家たれ」は、清水が転向したとして大きな話題を呼んだ。同論は、清水が設けた軍事科学研究会による成果物ではあるものの、「核保有という選択」を清水が是としていることは明らかだった。
同論が収録された清水の著書『日本よ国家たれ 核の選択』(文藝春秋)に目を通すと、いわゆる保守論壇の原稿として、驚くほど違和感がないものになっている。そしてあとがきには、自説を変えるに至った理由が書かれている。
現在、私たちは、「古い戦後」が終り、「新しい戦後」が始まる転換点に立っている。「古い戦後」は、アメリカの軍事的優勢を前提とし、その下で、戦後思想に弁護されながら、私たちは、甘えたり、駄々をこねたりして来た。色々な面倒はあったにしろ、暢気な時代であった。これに反して、「新しい戦後」は、ソ連の軍事的優勢を特徴とする。日々のニュースを見ているだけでも、甘えたり、駄々をこねたり出来る暢気な時代が去ったことは判る。この転換期を乗り切るためには、日本は、経済活動を内容とする「社会」であるだけでなく、また、あるためにも、軍事力を本質とする一人前の「国家」にならねばならぬ。
(前掲書、1980年)
戦後、日米安全保障条約に異を唱え、安保反対運動や反米運動を支えてきたはずの清水がここでは「新しい戦後」が到来したという認識のもと、「甘え」ている場合ではない、と述べて軍備増強を訴えているのだ。
私は、核武装論にはまるで賛成できないが、時代の変化に応じ考えを変えるという姿勢そのものは正しいと思う。むしろ、社会がどれほど変化してもなお自説を変更しないという立場は、単なる教条主義に陥っているか、ある村社会への過剰サービスや迎合に堕している感がある。
しかし、やはり清水の同論には様々なレベルで問題や疑問を感じずにはいられない。以降、整理しながら考えてみたい。