社会

障害者雇用率で上場企業1位「訪問マッサージ」企業の創業者が語る企業理念【ウェルビーイング探訪記】

2026年9月3日


<span>障害者雇用率で上場企業1位「訪問マッサージ」企業の創業者が語る企業理念【ウェルビーイング探訪記】</span>
株式会社フレアス代表取締役社長の澤登拓氏(右)

(株)フレアスは、国家資格を持つ「あん摩マッサージ指圧師」による訪問マッサージを主な業務としている。創業社長の澤登氏が全国展開を志すきっかけとなったのは、自身が担当した患者さんの言葉であったという。

体が弱く小学5年生で十二指腸潰瘍に

服部 いきなり私事で恐縮ですが、6月に股関節の手術をしまして、リハビリの時にマッサージの方に大変お世話になったんです。貧血で5日間寝たきりでしたが、寝たきりにしないためのリハビリはすごく大事だと実感しました。

澤登 そうなんです。寝たきりになるとだいぶ筋肉が落ちますのでね。

服部 マッサージをしていただくと、もうびっくりするほど可動域が広がりまして。入院していなかったらマッサージの大切さはわからなかったかもしれません。凝っているところを揉んでもらうのとはわけが違います。ちょっと寝たきりになっただけで、人間のあちこちの筋肉はこんなにも固まってしまうなんて。

澤登 まさに我々の仕事の対象です。固まったら最後、伸ばすのはすごく大変なんです((株)フレアスは2000年に創業、19年東証マザーズ〔現グロース〕に上場。全国展開し、従業員約800人、このうち国家資格の「あん摩マッサージ指圧師」は約300人)。

服部 今、AIやロボットのおかげで人が関わる仕事がどんどんなくなっていくといわれていますが、マッサージばかりはそうならないのではないでしょうか。

澤登 東洋医学の視点からいえば、ロボットでは手から「気」が出ません。よく「手当て」と言いますが、それがロボットではなかなか難しい。

服部 だから人の手でやってもらうのはすごく大事なことなんですね。御社は訪問マッサージの会社としては唯一上場されている業界最大手と伺っておりますが、そもそもはどういう出発点だったのですか?

澤登 元々、私が国家資格のあん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師だったというのがあるのですが、きっかけは大学生の頃に中国に語学留学したことでした。

服部 中国に興味がおありだったのですか。

澤登 それはたまたまでした。私は山梨県の出身ですが、幼少期からプレッシャーに弱くて胃がしょっちゅう痛くなり、小学5年生で十二指腸潰瘍になってしまったんです。胃に穴が開いて出血し、病院に行ったらもう手遅れでした。

服部 ずいぶんお辛い体験でしたね。

澤登 それで手術を受けました。お腹の痛みは取れたのですが、食べても戻してしまう。中学時代は本当に調子が悪く、ガリガリに痩せていました。いじめにも遭い、学校に行くのが嫌になり、高校生になると不登校になってしまいました。

服部 体が弱いと自分に自信が持てなくなりますね。それがどこで変わったのですか。

澤登 高校を卒業してもニートでしたが、学校の先生から金沢にある大学を薦められ、中国語と出会ったんです。ある時、中国に短期留学する機会がありまして、しかも中国は楽しかったので、長期留学することにしました。そこで、せっかく中国に来たのだから、日本では治らなかったけど、漢方薬を試そうと思ったんです。そしたら劇的に効きまして、みるみる体調が良くなってきたんですよ。

「利用者には人生最後の終末期の方々が多い」

服部 その中国での体験が、人生の分岐点になったのですね。

澤登 自分は将来働けない、不調は治らないと思っていたのに、漢方薬のおかげで体調が良くなったら、考え方も前向きになりました。日本には僕みたいな人が絶対いる、自分が救われたから、今度は僕がこれを日本に持って帰るんだと思うようになりました。それで僕を治してくれた漢方を専門的に学べる大学に入り直したというのが今のキャリアのスタートでした。

服部 子供の頃に虚弱じゃなかったら今の澤登さんはいらっしゃらないし、この会社もなかったのですね。

澤登 訪問マッサージで出会う利用者は昔の自分を見ているようでした。寝たきりになり、痛くて「もう俺なんかダメだ」「死んだ方がマシだ」と絶望していた方が、マッサージやリハビリで寝返りを打てるようになる。座れるまで回復したら、ベッドサイドのポータブルトイレを自分で使えるようになって、排泄ができたと言って泣くんですよね。

服部 私も入院していましたから、お年寄りの方が、おむつにしていいんだよって言われても、どうしても自分でお手洗いに行きたいとおっしゃる気持ちがとてもよくわかります。

澤登 我々の利用者は、だいたい利用年数が2年間でお亡くなりになります。人生最後の終末期です。そういう方々と接していますと、毎日が楽しい、ハッピーという方はあまりいらっしゃいません。みなさん最後はいろんな困難や喪失感を抱えて、苦しいという時間が多いように感じます。同じ人生の時間なのにもったいない。でも、ちょっとしたマッサージやリハビリで前向きになれるという実感が僕自身にはあります。利用者もそうなってくれたら良いなと思っているんです。

服部 医学関係に進まれる方は、なかなか自分がそこまでの体験をしていないから、患者さんの側に立って見ることができるというのは大きいですね。

澤登 うちの会社で働くマッサージ師は、専門知識と技術を使って利用者にサービスを提供するわけです。しかし、それは手段であって、我々は出会った人とのコミュニケーションを大事にし、利用者に“プラス”を提供することを目指しています。プラスとは何かというと、施術で痛みが和らぎ身体機能が改善されるのはもちろんですが、人生がもう1ミリでもいいから前向きに進むような支援をすることです。それが利用者にとってのウェルビーイングにつながっていくのではないかと思います。

服部 御社は今でこそ大きな会社になっていますが、最初はどういう形で始められたのですか。

澤登 中国で勉強した後、帰国して国家資格の「あん摩マッサージ指圧師」の免許を取りました。それで意気揚々とこの業界に入ったのですが、なかなか厳しい世界でした。

服部 その頃はまだ、みなさん治療院に行ってマッサージを受けるのが一般的でしたね。

澤登 ところが、マッサージ師は国家資格を持っているものの、医療職のヒエラルキーの底辺みたいな立ち位置でした。最初の勤め先の初任給は10万円と低く、社会保険もありません。毎日、接骨院で手が腫れるほどマッサージをしていましたが、「見て覚えろ」という徒弟制の世界で何も教えてくれません。僕は初日に鍼を打ったんですけど、緊張のあまり抜き忘れてしまい、翌日患者さんが「あんた忘れたでしょ」と持ってきてくれたことがありました。

服部 マッサージ師を育てるシステムが全くなかったのですか。

澤登 お医者さんには研修医制度がありますが、マッサージ師にはありません。僕も例に漏れずいきなり現場に出たのですが、その反省から、きちんと研修制度を整えよう、待遇も普通の給与にしようと思い、2000年に独立しました。山梨県の実家の応接間を治療院登録し、弟に事務を手伝ってもらって二人で開業しました。

服部 実家の応接間が最初ですか。

澤登 はい、資金がなかったので応接間からのスタートでした。また、幸運なことに開業した年に介護保険制度が始まりました。

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