科学は「研究」ではなく「社会」のため
宮沢賢治との出会いは、いつだったか、はっきりとは覚えていません。ただ、小学生の頃、「気味が悪いな」「楽しいな」と2つの印象を抱いたものです。
気味が悪いというのは、短編童話「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」です。人がいないところで音がしたり、友達と遊んでいたら10人のはずが11人になっていたり。そういう不思議な「ざしき童子」が奇妙で怖かったですね。
楽しいというのは、「オノマトペ」(擬音語、擬態語)です。彼の作品ではいろんなところで使われています。童話の『風の又三郎』では、最初、「どっどど どどうど どどうど どどう」って風が吹く。短編童話『やまなし』のなかに登場する「クラムボン」という謎の存在が「かぷかぷ」と笑う。それを読んで、いいな、面白いな、と感じました。
中学から高校、大学を通して最も影響を受けたのは、童話『グスコーブドリの伝記』でした。グスコーブドリという少年がイーハトーブという理想郷で、お父さん、お母さん、妹のネリと幸せに暮らしていたのですが、冷害で作物が育たず、大飢饉になります。それを成長したグスコーブドリが科学技術で解決していこうとするお話です。
宮沢賢治がすごいのは、当時、20世紀になってすぐの頃だというのに、いろんな新しい科学技術を知っていたことです。地質、土壌だけでなく、肥料、農薬なども。それを物語の中で表現しているのですが、岩手の農学校(現在の岩手大学農学部)出身ですし、すでにヨーロッパの文献などにも触れていたのでしょう。
私自身はというと、高校1年生だった1963年7月、皆既日食を見て、太陽のありがたさ、暖かさを感じ、人工太陽、核融合に興味を持ちました。日本はその後、オイルショックを経験しますけど、そんな危機に直面する度に、人工太陽に対する気持ちを高めたものです。
科学者になろうと心に決め、北海道大学に進み、実際に人工太陽、核融合の研究をするのですが、科学というものは、研究のためにあるのではなく、社会のためにあるもの。こう強く意識させたのも、その『グスコーブドリの伝記』でしたね。
「エンデバー」の機内でリンゴを浮かす
北大の大学院を修了し、その後、オーストラリアのフリンダース大学大学院に留学しましたが、現地でも『銀河鉄道の夜』など賢治の作品をたくさん読みました。賢治は天文にも造詣が深く、いろんな星座、南十字星も紙などに書いている。南十字星は、南半球に行かなければ見られません。どうやって推測したのだろう、と感心したものです。
宇宙飛行士になる際は、さすがに賢治を意識することはありませんでした。研究していた人工太陽、これを造るには真空が必要なのですが、宇宙の真空に直接、行けるわけですから。どんな実験ができるかで、頭がいっぱいでしたね。
ところが、いざ宇宙に行くとなった時、賢治が“必要”になったのです。宇宙飛行士は国家予算を使います。国の科学研究、実験をするのも任務の一つで、「研究者のための研究」です。これに300億円も使うのですが、一般の人たちがどう理解するのだろう、と心底思い悩んだものです。「これからは宇宙開発、宇宙実験が日本の社会に関わっていくのですよ」ということを伝えるには、別の能力が必要になってきます。