<span>高市首相「遥拝」で再注目 靖国参拝問題「英霊にこたえる会」の柔軟な迂回戦術</span>

 2026年8月15日の首相動静(日本経済新聞8月16日朝刊)。

▽10時51分 公邸発。▽11時 東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑。献花。9分 東京・北の丸公園の日本武道館。18分 東京・九段北の靖国神社に向け遥拝(ようはい)。51分 全国戦没者追悼式。▽13時1分 公邸。

 高市早苗首相が靖国神社に参拝するかが注目された終戦の日。首相は日本武道館駐車場から靖国に向かって遥拝し世間を驚かせた。遥拝とは、一般には聞きなれない言葉だが、何らかの事情で参拝できない場合に遠くから祈ること。靖国の隣といってもいい日本武道館の、それも駐車場から祈るというのは多くの想像を超えるものであった。

 その日、靖国神社では午前9時から「英霊にこたえる会」の第51回全国戦殁者慰霊大祭があり、古庄幸一会長(元海幕長)は祭文でこう語った。

「初代の会長であった石田和外氏は昭和51年8月15日の第1回全国戦殁者慰霊大祭を斎行され、祭文で次のように述べられました。『わが国の現状は、敗戦・占領に伴う精神的混迷をなお脱し得ず、あるいは時流の赴くところ太平に馴れ、安易な自己本位の風潮を招き、これがため国家の基本的なありかたをめぐって抗争を重ね、道義の基本ともいうべき英霊祭祀についてすら、国論の分裂を招来していることは誠に遺憾であり、申し訳ないところであります』と述べ、最後には『私どもは、あらゆる世代、あらゆる立場を超えて「英霊にこたえる会」の輪を広げて日本の心を結集し、英霊を公にお祀りする道を確立し、誓って国の伝統と平和を守り抜く決意であります』と力強く奉告されました」

 これに続けて、古庄氏は、現在に至るも石田氏が憂えた世情と大差はないとし、一層の努力を誓ったという。

 英霊にこたえる会とは、元最高裁長官の石田氏を会長に1976年に結成された、「国のために尊い命を捧げられた英霊の慰霊・顕彰を行い、首相の靖国神社公式参拝を求める会」(公式サイト、以下「こたえる会」)である。石田氏が任期途中に死去した後、元検事総長の井本臺吉氏、元陸自西部方面総監・元参院議員の堀江正夫氏、アサヒビール名誉顧問の中條高徳氏、元統幕議長の寺島泰三氏と続き、2023年から古庄氏が6代会長の任にあたる。

 副会長は5人。国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏のほか、元滋賀県知事の國松善次氏、憲法学者の百地章氏、日本遺族会副会長の國政隆昭氏、元陸幕長の火箱芳文氏。そのほか、特別顧問に日本遺族会会長の水落敏栄氏、顧問に佛所護念会教団会長、関口慶一氏らが名を連ねている。

 今回、こたえる会を取りあげたのは毎年夏、首相らの動静で注目が集まる「靖国問題」の当事者団体であり、黎明期には元最高裁長官、元検事総長という司法界の大物を会長に据え、新憲法下の政教分離のあり方や、東京裁判史観と格闘したことは、戦後保守史を語る上で欠かせないと考えるからだ。その成り立ちや取り組みからは、運動が暗礁に乗り上げたときの保守のしぶとさや局面打開の知恵者ぶりを読み取ることができる。今日、事態が膠着した状況の中で、次なる一手をどう打ってくるのかも目を離せない団体である。

靖国神社の歴史

 こたえる会を理解するにあたっては、なにぶん、前史を押さえないと分かりづらい。まずは靖国の成り立ちから始めようと思う。

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