群馬で発生していた「ネオニコチノイド中毒患者」急増騒動
中国唐代の文人・陸羽が著した『茶経』は、世界最古の茶に関する書物として名高い。そこには「茶之爲用(茶の効用)」がある症状として、「熱渇(発熱による喉の渇き)」、「凝悶(気鬱)」、「腦疼(頭痛)」、「目澁(目の渋き)」とあることから、古くより茶には“良薬”としての側面があったことが窺える。我が国に茶が伝わるのは、平安時代の初期。当時はやはり貴族や僧侶が嗜む「健康のための薬」であったという。
今や日本の食文化に欠かせない存在となった「お茶」であるが、“健康に良い”というその位置付けは、古(いにしえ)から変わらない。考えてみれば、自然の葉っぱをそのまま液体に抽出したりして飲むわけだから、植物由来のビタミンなどはさぞかし豊富に含まれよう。人工甘味料が多分に含まれる巷の飲料よりは、よっぽど健康に良さそうである。
しかし一方で、国産の「お茶」によってもたらされたと思われる健康被害の実状は、果たしてどれくらい知られているだろうか。人体に危害を及ぼす「残留農薬」の存在が――。
「2003年に群馬県の開業医から、『ネオニコチノイド』という農薬が松林に大量散布され、その中毒と思われる患者が多数来院していると聞いた時、私は耳を疑いました。前代未聞の“人体実験”が進行しているのか、と」
そう嘆くのは、東京女子医科大学附属足立医療センターの平久美子医師である。
群馬県では、06年に大量散布は中止されたが、その後もネオニコチノイド中毒の患者が急増を続けた。麻酔科医で同成分に詳しい平氏は、その実態を研究論文にまとめ、内閣府食品安全委員会に報告している。
「患者の症状は、頭痛や全身の倦怠感、腹痛、胸痛、記憶障害、手の震えなど多岐にわたりました。06年から患者は増え続け、09年には延べ3000人超が全国から群馬県の診療所に訪れるに至ったのです。患者さんたちに共通していたのは、ペットボトルの茶飲料か国産果物を毎日摂取していることでした」(同)
実際に患者が普段から摂取しているという茶飲料を平氏が分析したところ、ネオニコチノイドが検出された。ただし、消費者庁が定める『残留農薬基準値』を下回る値だった。
「当初は基準値内なので、なぜ健康被害が起こるのかが分かりませんでした。しかし、比較的低い濃度であっても、摂取を続けた患者さんには健康被害が起きていた。12年にアメリカの研究者を呼んで患者と健常者の尿を調べたところ、症状のある人の尿からだけネオニコチノイドが検出され、その症状がネオニコチノイドによるものと推定されたのです」(同)
日本人の「食」を根本から脅かしかねないこの危険物質に対し、我が国の行政はどのように向き合ってきたのか。
医学博士で「環境脳神経科学情報センター」の副代表を務める木村-黒田純子氏(以下、木村氏)は言う。
「EUでは、当初5種登録されていたネオニコチノイドのうち3成分が屋外使用禁止、1成分は生殖毒性のため登録抹消、残る1成分も厳しく規制強化されています。しかし日本では、“危険性が証明されない限り動かない”という風潮からか、一向に規制が進まず、残留農薬の基準値が高いまま“放置”されているのです」
木村氏が続ける。
「18年に北海道大学らの研究チームが行ったネオニコチノイドの調査では、スリランカ産の茶葉30検体からは検出されなかったのに対して、日本のお茶は39検体の全種類から検出されています」
「健康被害との因果関係が分からないのいいことに、緩和を進めている」
一方、前出の平氏は次のように語る。
「日本の食料供給はカロリーベースで約3分の2を輸入に依っているため、小麦、大豆などの基準値はアメリカなどの輸入相手国より厳しくできません。緑茶は輸入品が全体の5%を占め、ほぼ中国産で産地の南東部のネオニコチノイド汚染は深刻です。国産品も“心配なら各人が摂取を減らせばいいだけ”という理屈で、農家の農薬使用実態に合わせた緩い基準値が設定されています」
さらに日本では目下、規制どころか“緩和”に向けた動きさえ進んでいる。
消費者庁が今年の8月に公示した『食品、添加物等の規格基準の一部を改正する告示(案)』を読むと、そこには「ネオニコチノイド系農薬」の一種である「イミダクロプリド」について「お茶」の残留基準値は「30ppm」とある。従来の基準値と比較すると、実に3倍にまで引き上げられようとしているのだ。
平氏が解説する。
「イミダクロプリドは、ネオニコチノイドの中でも、世界で最も急性中毒患者の報告数が多いことで知られています。原液を飲むなど大量に摂取すると、酷い場合には人工呼吸器が必要になることもある。一方、慢性的に摂取すると男性の脂肪肝の原因となりうることが、動物実験とアメリカの疫学研究で報告されています」
諸外国の潮流に逆らうかの如き此度の改定に向けた動きが、消費者には“改悪”と映ったとしても無理はなかろう。
「ネオニコチノイドには、たんぱく質と結合して体内に保持される性質がありますが、どれくらいの期間保持されるのかがまだ十分に検証されていません。本来は、農水省が農薬メーカーにデータの提出を命じるべきですが、そのような動きもない。国は人体への影響を“不確実”としたまま、健康被害との因果関係が分からないのをいいことに、緩和を進めているように思えます」(同)
一体日本人はどのようなリスクに晒され続けているのか。その全貌が誰にも掴めないまま、今日も我が国の食卓には、農薬入りのお茶が供給されている可能性があるのだ。
さらに今後は、「基準値以下」という“お墨付き”を得て、より高濃度のネオニコチノイドが含まれた商品がしれっと市場に出回る恐れがあるわけだから、なんとも気味が悪い。
そこで本誌は、日本の消費者が日常的に曝露している「お茶の残留農薬」について、実態を正しく知るべく調査を行った。巷に出回るペットボトル茶飲料に、どれほどの「ネオニコチノイド」が含まれているかを定量的に把握することを試みたのだ。