饒舌は銀、沈黙は金?
書きすぎ喋りすぎは批判される穴も多い
「饒舌は銀、沈黙は金」。19世紀イギリスの思想家トーマス・カーライルが著作『衣装哲学』で紹介した言葉である。
カーライルの著作を福澤諭吉は熱心に読んでいたらしい。この言葉も読んでいたのだろうか? そういう意味では、日本のなかでかなり珍しく、福澤は「饒舌の銀」を誇った人間である。とにかく書いた量も喋った量も多い。ちなみに彼の趣味は散歩だったが、作家にありがちな静かな思索の散歩ではない。弟子を引き連れて散歩中ずっと喋っていたらしい※1。饒舌だ。饒舌ゆえに、口は禍の元、を地でいった人間でもある。饒舌であるがあまり触れなくていい時事ネタに触れ、言わなくていいことも言っている。彼の膨大な著作のなかではほんの少しだけ触れたことも、後年鬼の首を取ったかのように批判されている。
彼はさまざまな若手論者から批判された。徳富蘇峰は「無主義の天国」に永住する者だと、幸徳秋水は「利己主義」だと、内村鑑三からは「『利慾』という害毒を拡散させた」と嘆かれた※2。
そう、第一、二回では彼の魅力的なエピソードも紹介したが、実は福澤諭吉への批判はとても多い。生前から多かった。
「文章が浅い」「拝金主義」「愚物」……。
福澤が「沈黙の金」を手に入れていたら、こんなに批判されなかったんじゃないか、と福澤について調べれば調べるほど思う。批判されたら反論することも案外多い。しかしだからこそ彼はさらに批判を呼ぶ。
もし福澤が「沈黙の金」を得ていたら、どうなっていたのだろう。もしかしたら、代わりに、日本の自立はもう少し遅かったかもしれない。彼は饒舌さとともに何を日本に差し出そうとしたのだろうか。
第三回にして、そろそろ種明かしをしたい。なぜ私が福澤諭吉に興味を持ったのか、ということについて。
福澤諭吉とアンチコメント