梁啓超と康有為の最も相反しているのは、康有為は定見がありすぎ、梁啓超は定見がなさすぎた点にある。事業も然り、学問も然り。康有為はつねづね、「わが学は30歳ですでに成った。その後もう進歩はないし、また求めるにも及ばない」と語っていた。梁啓超はそうではない。学問が未完成なのを自覚、憂慮しない時はなく、数十年間、日々彷徨模索しつづけた。……しかも梁啓超は、定見がなさすぎるため、往々にして事物に流されて、守ってきたものを失うことがある。創造力は康有為に及ばないと断言してよい。……梁啓超は短所を自覚していたけれども、改める勇断ができないまま、しばしばくだらぬ政治活動にひきまわされ、精力を消耗して十分な成果が上がらなかった。
以上は邦訳もある『清代学術概論』という著述の一節、ここでは拙訳を示した。清代の学問・学術をヨーロッパのルネサンスになぞらえながら通観し、系統的に説明を加えた著作で、関わる人物とその事蹟・学派・著述を手際よく整理紹介している。しかも邦訳書は詳細な注釈を施してあるから、いよいよ「清代学術」に対する至便のガイドブックであり、筆者にとっても、まず入門書、やがて愛読書となった。
その著者は梁啓超。康有為の高弟で、すでに前回で登場し、言及もある。それなら引用文は、師との対比で自身を語った、いな、論評した一文にほかならない。その意味するところは、以下おいおい事蹟をみるなかで、つぶさに確認してゆくことであろう。
『清代学術概論』は顧炎武・黄宗羲から説き起こし、およそ友人の譚嗣同と自身でしめくくる構成をとっている。刊行は1921年、梁啓超はそこで40代も終わりの自身の回顧を試み、自らを客観的に、清代の思想を「収束(おわら)」せた、「破壊」した「罪ある」人物と位置づけた。上の引用文はそうした自己批判の一部であって、同時にそれだけ大きな影響を及ぼしてきた自負もかいまみえる。……