カルチャー

日本人の幻想としての「孫文の美談」「習近平独裁」

2022年12月26日


<span>日本人の幻想としての「孫文の美談」「習近平独裁」</span>
孫文(中央)は毛沢東(左)、蔣介石(右=(C)中華民国総統府)にとっての「革命の父」だった

孫文と志を同じくした宮崎滔天も「命令病」「専制病」が孫文の欠点と断じていた。「民主か、独裁か」という日本の自由民権思想からは当然の批判であり、現代にも引き継がれた感覚だ。だが孫文の「革命」は本来的に、民主集中制という独裁にひとしい。それが美談になることと、習近平の独裁を語ることの間には、畢竟、日本との関わりの良し悪しがあるだけではないのか。

 中国側が日本の悪口を並べるのは、かねて茶飯事的な風景である。言う中国人も言われる日本人も、もはや慣れたものだ。けれども最近は、日本側が中国の脅威を名指しで非難する。これはめずらしい。言う方も聞く方も慣れない感触があるのではないか。

日中の現在と過去

 いわゆる「米中対立」、そしてウクライナ問題のあおりを受けた日中関係の一コマとはいえ、あからさまにここまで険悪な仲になったのも、近年では異例だといえよう。もっとも歴史をさかのぼれば、そんなことはない。

 一口に日中関係といっても、日本人の立場からすれば、いろんな時代・局面が存在した。古代から数えれば1500年の長きにおよぶし、事件・史実もたくさんある。遣唐使・日宋貿易・蒙古襲来・勘合貿易・倭寇に鎖国……。

 とりわけ近代史は嶮しい。明治維新以後、国交を樹立してからは、むしろ対立と戦争がその基調である。侵略と抵抗のあげく、戦後に入って潰滅と復興、断交と復交があいつぎ、近年ようやく何とか繁栄と共存にたどりついた。……

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