「イギリス紅茶の代名詞」となった貴族
「アールグレイ」。いまやこの名前は、イギリス紅茶の代名詞のひとつとして日本にも深く定着している。読者の皆さんにも、ベルガモットを効かせたその独特の香りをお好みのかたがいるだろう。しかしこの名前がある貴族に由来することまではご存じない場合が多い。その貴族こそが、今回取り上げる「グレイ伯爵(Earl Grey)」なのである。
グレイの一族は、14世紀にイングランド北東端ノーサンバーランドに中規模な所領を構える地主貴族に端を発している。所領の経営に成功し、准男爵に叙せられたサー・ヘンリ(1691~1749)の4男チャールズ(1729~1807)は、父が買い取ってくれた陸軍少尉の位から軍人としての経歴を始めていく。当時は陸軍の中佐から少尉までの位は、一部は「売官制」によって取り引きされていた。その陸軍でチャールズはペティ・フィッツモリス大尉という人物と懇意になる。のちの首相シェルバーン伯爵である。このシェルバーンが政権を握ると、彼の縁故からアメリカ独立戦争に司令官として赴任し、戦争には敗れたものの、チャールズは大将にまで昇進し、1806年にはついにグレイ伯爵に叙せられた。
「稀代の名演説家」の2代伯
しかし彼の叙爵は、当時、政界の大立者となっていた長子チャールズ(1764~1845)の意向が働いていたとされる。伯爵となった翌年、父の死で彼は第2代グレイ伯爵となる。そして彼こそが「アールグレイ」の名前の由来とされる貴族なのである。
イートン校でラテン語と英語を徹底的に学んだ2代伯は、このときのちに「稀代の名演説家」と呼ばれる素養を培ったとされる。1786年に庶民院議員となり、ときの大宰相ウィリアム・ピット(小ピット)の政策を痛烈に批判した名演説で、並み居る議員たちに鮮烈な印象を与えてデビューを果たした。1794年にメアリと結婚し、2人はなんと男子11人、女子4人という子宝に恵まれる。ところがその陰で、グレイには愛人もいたのだ。本連載第2回で解説した第5代デヴォンシャ公爵の夫人ジョージアナである。彼女の影響もあり、グレイはチャールズ・ジェームズ・フォックス率いるホイッグ(改革派:のちの自由党)に所属することとなった。……