いつからこんなに、話しかけにくい世の中になったのだろう。
ぼくの住む駅前には串焼き屋が8軒もあって、それぞれに個性を持っている。うちひとつは長いL字のカウンターで隣りあう人どうし、誰とでも喋れる雰囲気が売りだ。新入りでも横から口を挟めば、常連さんが気兼ねさせずに面倒をみてくれる。
先日驚いたのは、「この店はお互い話せるから」として、わざわざ数駅先から来るお客さんがいたことだ。その駅の方が大学もあったりして、むしろ盛り場の印象が強い。「地元じゃダメなんですか」と訊いたら、「ぜんぜんダメ。こんな場所はまったくないよ」としきりに愚痴っていた。
お酒を手に「きれいなお姉さん」と話すことにお金を落とす業態は、昔からある。最近は「ハンサムなお兄さん」と話せるタイプも増えて、男女で機会も平等になってきた。
しかし、居あわせた「誰かと話す」のはもともと単にあたり前で、そこにお金はかけなかったんじゃなかろうか。
有料で「話を聞いてもらう」職業の先駆けは、占い師とカウンセラーである。後者のパイオニアである信田さよ子さんに最近、この問題について尋ねる機会があった(『表現者クライテリオン』本年5月号)。
信田さんがカウンセラーを志したのは、1960年代の半ば、東京でまだ少ない女性の大学生だったころ。アメリカを模した「ビッグ・ブラザーズ&シスターズ」(BBS)という、保護観察中の青少年の話し相手になって、更生を手伝うサークルでの活動がきっかけだった。
いちど社会から外れてしまった人が、対話の相手を得るのに支援が要るのはよくわかる。ところがいまや、ふつうに働き暮らしている人でも、話しかける相手がお代を払わないと手に入らない。
60年代には東京でも、電車に乗りあわせた人どうしで会話する文化が残っていたと、信田さんは自伝的な著書で述べている(『言葉を失ったあとで』筑摩書房。上間陽子氏との対話集)。もともと人の話を聞くのが好きな信田さんは、東北から上京した「小指のない人」の身の上話につきあって、山手線を2周したこともあった。
さすがにそれは珍しすぎるので、そのおじさんも「あんた心が広いね」と礼を言って降りていった。だけどいまは「いいお天気ですね」くらいの何気ない会話すら、車中で見知らぬ人に切り出すのはむずかしい。
小指のあるなしにかかわらず、とりわけ女性や子どもに男性が声をかける場合がそうだ。まして「今日はどちらまで?」なんて言ったら最悪、駅員では済まずに警察を呼ばれてしまう。
そんなよそよそしい世の中のはじまりとして、妙に覚えている話がある。