<span>入院してコロナ禍を思い出した:哲学者アガンベンの教会批判</span>
コロナ禍の最初期に「教会はやるべき仕事をしていない」と声を上げた、アガンベンというイタリアの学者がいた(C)Aron M / shutterstock.com

 この春には高熱が止まらずに入院して、久しぶりにコロナを思い出した。

 周期的に39度台の熱が出て、夜も悪寒で全身がけいれんして飛び起き、眠れない。病状が最悪のときは熱を測る余裕もないので、40度を超していたものと思われる。

 月曜にかかりつけ医に飛び込み、大病院への紹介状を書いてもらう。新型コロナウイルス禍のころの空気から、すぐ入院が決まるのかと思いきや、どんでん返しが待っていた。

「『入院したいです』と言って病院に並ぶのは昭和の話で、いまは、入院させるかは病院が判断するんですよ。ぼくらにできるのは、あくまで紹介だけで」と、医師。

 いやわずか3年前まで、コロナの際は検査で陽性と出るや即入院させたのでは? と尋ねると「あれは完全な例外。肺炎を起こすからという理屈だったけど、本来は肺炎だって症状次第で、入院とは限らないんです」と言われてしまった。体が震えて声までどもってるのに、この見込み違いはきつい。

 もうすぐ外来の受付が終わると言われ、自宅に戻る間もなくその足で紹介先へと急ぐ。受理されたものの「発熱外来」に回され、換気で窓が開け放しの部屋に送られたから、寒い。

 見かねた看護師さんが、隅にある硬い簡易寝台で横にならせてくれて、少し動悸が落ちついた。しかしスマホを開く気すら起きないので、頭の中がぐるぐるとし始める。

 いったいぼくはここで、なにをしているのだろう?

 コロナで整備されたマニュアルもあるのか、発熱外来の進行は手慣れたもので、文字どおり流れ作業のようだった。だけどひとつだけ、引っかかることがある。

 PCR検査が持ち出されなかったのだ。

「あとは採血と尿検査です」と言われたので、あれ、PCRは? と、ぼくの方から口にした。「あ、やっときます?」と看護師さん。古参兵を思わせるベテランで、うっかり忘れたとも思えない。

 いまは器具が進歩して、コロナとインフルエンザを同時に検査できる。ぼくは発熱から日が経ち、あまり投薬の参考にならないとのことだが、なんとなく病人の「カン」で、こういうことかな? と感じる点が他にあった。

 病名をはっきりさせない方が、いい場合もあるんじゃないか。

 2020~23年のコロナ禍のときだって、いろんな人がいた。PCR検査で「コロナです」という証明がほしい人もいれば、反対に「コロナではないです」と言われたい人もいる。

 その人が会社を休んで入院できる環境なら、前者が望ましいだろう。だけど症状がさほどでなく、むしろ社会生活を続けたいなら、後者でないと困ってしまう。

 人間どうしが営む社会は、かくも複雑だ。だから、誰もが一律に「おまえが何者かをはっきりさせろ」と迫られ、なんらかのカテゴリーに振り分けられる状況は、非人間的である。

 ナチスはユダヤ人に「ダビデの星のワッペンをつけさせた」と聞けば、恐ろしさに身震いがする。が、国民全員が切れ目なくPCR検査を受けよう、陰性の証明書を持ち歩こう、といった発想が、コロナでは「人間的」なものとして善意で持ち出された。

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

注目の特集

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの電子書籍

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する