<span>平成のコールドケース「八王子スーパー強殺事件」 鍵を握る重要人物に肉薄した「捜査一課のエース」の独白</span>
女子高生ら3人が射殺された八王子市のスーパー「ナンペイ大和田店」を調べる捜査員(1995年7月31日)

平成のコールドケース「八王子スーパー強殺事件」 鍵を握る重要人物に肉薄した「捜査一課のエース」の独白

2026年7月30日

オウム真理教による「地下鉄サリン事件」に日本中が震撼した1995年と同じ年、またもや東京で凄惨な事件が起きた。スーパー「ナンペイ」のパート従業員女性と女子高生2名の計3名が、事務所に押し入った強盗犯に拳銃で射殺された「八王子スーパー強殺事件」である。この事件は今も「未解決事件」に数えられるが、実は警察は全面解決の目前で重要人物を取り逃がすという、大失態を起こしていた。無念の思いを吐露するのは、「捜査一課のエース」と呼ばれた男性刑事である。

3人が射殺される凄惨な現場

「解決できる事件だった。犯人の後ろ髪をつかみかけていた。それなのに最後の局面で、担当の警察幹部らが捜査を尽くさなかった……。情けなくてなりません」

 憤懣やるかたない面持ちで無念の思いを吐露する元刑事がいる。原雄一・元警視庁刑事部捜査一課理事官(69)。「解決できる事件」とは昨年7月30日で発生から30年を迎えた、「八王子スーパー強盗殺人事件」、通称「ナンペイ事件」である。

 地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連のテロ事件で日本の治安が大きく揺らいでいた1995年、東京・八王子でまたもや社会を震撼させる残虐事件が起きた。スーパー「ナンペイ」のパート従業員、稲垣則子さん(当時47)とアルバイト店員の女子高生、矢吹恵さん(同17)、前田寛美さん(同16)の3人が、スーパー2階の事務所に押し入った強盗犯に拳銃で射殺されたのだ。

 犯人は稲垣さんに金庫を開けさせようとしたが、彼女は解錠を拒絶。金庫の脇で額と頭頂部を撃ち抜かれた。矢吹さんと前田さんは互いの右手と左手を粘着テープで縛られ、口もテープで塞がれた状態で、それぞれ後頭部から銃弾を撃ち込まれた。3人とも即死だった。あたり一面が血の海となる凄惨極まる現場だったという。

 この日はスーパーで3日続いた特売日の最終日であり、近くでは夏祭りの盆踊りも催され、売上げ増が見込まれていた。実際、金庫の中には売上金526万円が収められていた。だが、結局、犯人はお金を奪えないまま現場から逃走、闇夜の底に消えていった。

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 原元刑事は、この八王子スーパー強殺事件の捜査が難航していた発生10年目から特別捜査本部に従事して、現場の責任者である管理官を務めた。その後も捜査一課のナンバー2、理事官として捜査全体を主導するなど長くこの捜査に関わった。いわば八王子事件を知り尽くしたエキスパートである。

「落としのプロ」や「伝説の取調官」など仰々しい呼称で語られる刑事には往々にして“盛ってる感”がつきまといがちだが、原は正真正銘「落としの達人」だった。

 1993年の「池袋女性殺害事件」や2003年の「東京・山梨連続リンチ殺人」など長年未解決だった難事件を立件。前者の事件では、タイに帰国していた容疑者をめぐり、犯罪人引き渡し条約がないタイ当局と協議して、代わりに逮捕、代理処罰を行わせた。後者の事件でも、南アフリカに連れ去られていた日本人女性を帰国させ逮捕(主犯からの事実上の救助・保護)するなど、国境をまたいだ国際捜査も得意とした「捜査一課のエース」だ。

 警察署の副署長や署長、方面本部副部長を歴任し、2016年に退官した。

 その原が「警察幹部らが捜査を尽くさなかった」と言うのだから、穏やかではあるまい。特捜本部で一体、何があったのか。その舞台裏に足を踏み入れる前に、まずは簡単に捜査を振り返りたい。

 凶器となった回転式拳銃はフィリピン製のスカイヤーズビンガム(38口径)。警察庁科学警察研究所による遺留弾丸の鑑定から、“銃の指紋”線条痕が1997年8月、大阪厚生信用金庫深江支店(当時)が襲撃され、現金約330万円が強奪された未解決事件のものと酷似していることが判明。同一銃による犯行と見られている。

 当初、警察が捜査対象として重視したのは、金銭トラブルなどを抱えていた稲垣さんの交友関係だ。怨恨説から浮かび上がったのは彼女の愛人。二人の間には別れ話が持ち上がっており、男性は5000万円を要求されていた。

「彼女は“近々、5000万円の保険金が手に入る”と周囲に話していました。でも、該当する保険は存在しなかった。当局は、稲垣さんがこの愛人からの手切れ金を当てにして、吹聴していたものと見ています」

 と言うのは、当時、取材にあたっていた記者。

「男性にはアリバイがあり、粘着テープに残されていた指紋の一部やDNAとも合致しなかったので、外部依頼説で捜査が続けられた。しかしその形跡は掴めず、“シロ”との判断が下されました。捜査は暗礁に乗り上げた」

 行き詰っていた捜査が大きく動き出したのは、2009年のことだった。前出の原が語る。

「覚醒剤所持で中国公安当局に逮捕され、大連の拘置施設で勾留されていた日本人が“八王子の犯行グループを知っている”と言い出したのです」

「八王子のスーパーの強盗殺人。あれは自分のグループがやったんだ」

 男の名は武田輝夫。日本でも薬物や強盗の犯罪に手を染めていた。2000年からは中国人の犯罪者グループと手を組み、「日中混成強盗団」を結成。中心メンバーとして各地で資産家を狙った強盗を繰り返し、9都県で計17件、約6億円とも10億円ともいわれる金品を強奪したとされている。武田は、身辺に捜査の手が伸びているのを察知して、2002年11月に中国に逃亡。その後、当地でお縄となり、2006年、麻薬密輸の罪で死刑が確定していた。

 警視庁は日中刑事共助条約に基づき、警察庁を通じて中国側に協力要請して捜査員の派遣を協議。2009年9月、当時、現場で事件を統括する管理官だった原ら警視庁から3人、警察庁から2人の計5人が大連に飛んだ。

 中国の公安当局監視のもと、大連の拘置施設で取り調べが始まった。この追及に武田はどう答えたか。彼はもったいぶることなく、淡々と語ったという。

〈ぼくが中心となった日中混成強盗団のメンバーに、K・Rという中国人がいた。もともと中国人だけで高級ブランド品や貴金属を盗む窃盗団をやっていた。資産家リストなんかの情報を持っているぼくと組むようになってから、資産家宅を狙うようになった。このKがぼくにこう漏らした。“八王子のスーパーの強盗殺人。あれは自分のグループがやったんだ”と〉

 さらに武田の口から飛び出したのは驚きの内容だった。

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