大岡昇平が言葉を詰まらせた瞬間
戦場からの生還者は、固有名詞を失わない。私が会ったり、文章で読んだりした戦場体験者も固有名詞を使って語っている。その中の一人、大岡昇平を取り上げてみたい。大岡は戦争末期の1944年に召集され、フィリピン・ミンドロ島に送られた。1945年1月に米軍の捕虜となり、同年12月に復員した。食糧不足やマラリアで苦しんだ実体験をもとに、よく知られる『野火』など数多くの戦争文学を残した。大岡には『ミンドロ島ふたたび』という作品がある。この本の中に、自身が戦ったミンドロ島に遺骨収集へと向かう船「銀河丸」の様子をテレビのニュースで見て、涙を流し、「詩のようなもの」を書く場面が出てくる。そこに戦友の名前が出てくるのだが、実際に、引用してみよう。
おーい、みんな。
伊藤、真藤、荒井、厨川、市木、平山、それからもう一人の伊藤、
そのほか名前を忘れてしまったが、サンホセで死んだ仲間達、
西矢中隊長殿、井上小隊長殿、小笠原軍曹殿、野辺軍曹殿、
練習船「銀河丸」が、みんなの骨を集めに、今日東京を出たことを報告します。
さらに、この「詩のようなもの」は続く。遺骨収集に行くことができない自分を「なまじ生きて帰ったばっかりに仕事があり」と言い訳をし、彼の地に残された戦友に謝る。そして、「なさけない気持で、僕はやっぱり生きている。わかって貰えるのは、みんなだけなんだと、こん日この時わかったんだ」と続ける。だが、戦友たちは応答しない。それは分かっている。だから、大岡は「とにかく今夜この場で、机の前に坐り、大粒の涙をぽたぽたこぼし、みんなに聞いて貰いたい、」と記すのだ。
大岡の戦友への思いは、記録に残らない場面でも表出していた。読売新聞で1967年から1975年まで連載された「昭和史の天皇」の取材での一コマだ。レイテ島の戦いを取り上げた記事(1970年5月8日掲載)のために行われたインタビューで、大岡の戦友への感情があふれ出す場面が録音テープの中に残っていた。『レイテ戦記』について、記者が尋ねた時のことだった。