この欄でも何度か高坂正堯先生にふれた。本当の知識人の「知的思考」とは何かを教えて頂いた私の恩師である。今日でも高坂先生ならどう認識し判断されるであろうかと思いながら、国際情勢を追っている。その高坂先生が、逝去される2ヶ月前の1996年3月に書かれた一文1の中に、次のような記述がある。
私は最近、若い研究者に対して、「中国問題は二十一世紀前半の最大の問題だが、それは私たちの世代の問題ではなくて、君らの世代の問題だよ」とよく言う。…中国のあり方とそれが提示する問題は、この何年かの間に起こったこととも、歴史書に書いてあることとも違う。…部分にも歴史にもとらわれない中国論の出現を、私は心から待ちわびている。
…(アジア・太平洋の安全保障を考える上で)中国が自らをどう捉え、位置づけるかは、…二十一世紀の大問題なのである。南沙諸島をめぐる中国の態度は、それが現実にもたらす問題によってではなく、中国のあり方の試金石として重要である。
つまり中国が真の大国になったときに、どういう振る舞いをするのかを決める最も重要な要素が中国の自己認識だ、という指摘である。私は、これを高坂先生の遺訓と受け取り、「中国が自らをどう捉え、位置づけるか」という「中国の自己認識」をしっかり理解し、「中国の自己認識」の投影としての対外姿勢を、「中国のあり方とそれが提示する問題」として考えてきた。しかし高坂先生の問いに対する答は、容易には出ない。それは高坂流の問いに対しては、「中国」を多面的に、しかも深く探究しなければ答を見いだすことはできず、その上、高坂流の「正しい」答えは、見つけたと思った途端に、次の疑問の挑戦を受けるからである。それが高坂流の「知的思考」なのだ。不肖の弟子の現時点での答案用紙をのぞいて頂きたい。
「中国の自己認識」は時代ごとに変容する
1919年の五・四運動に始まる中国のナショナリズムは、今日に至るまで中国社会と指導者の心をとらえ、「中国の自己認識」の重要な柱となっている。孫文や蒋介石、そして毛沢東に始まる中国共産党の指導者にとり、中国が世界大国の地位を取り戻し「復権」することこそが、中国の「夢」であった。「中国の自己認識」は、時代の大きな影響ないし制約を受ける。ナショナリズムは、常に国粋主義的な傾向を持つが、国力がともなわなければ「夢」の実現はできず、過激な少数者のテロリズムなどの行動となる。中国は強い指導者が引っ張ってきた国である。指導者自身の「自己認識」の果たす役割も大きい。指導者はナショナリズムを利用しながら、それに一定の枠をかけてきた。国民レベルの「自己認識」も、指導者に影響を及ぼすかぎりにおいて意味を持つ。「夢」を阻む「現実」との葛藤の中で、時代ごとの「自己認識」が形成された。