<span>片山杜秀、自らを語る――博覧強記の「歴史マニア」はいかにして生まれたか</span>

片山杜秀さんのコラム「夏裘冬扇」は、古今東西の歴史を参照しつつ現代の世相を切る、週刊新潮の人気連載。そのベストセレクション第2弾『反復する昭和史』(新潮新書)の刊行を記念して、著者である片山さんに自身の少年時代について話を聞いた。高校の歴史資料集にも載っていないマニアックかつ豊富な知識は、一体いつ、どこで学んだものなのか。本人の口からは、「幼稚園の頃から戦争映画が好き」「親に“頭がおかしくなった”と心配された」と、数々の仰天エピソードが飛び出した。

幼稚園児を直撃した「戦争映画ブーム」

 歴史を知りたいと思ったきっかけは、大きく分けて二つあります。一つは戦争映画から始まった第二次世界大戦への関心、もう一つは大河ドラマからハマった戦国時代への興味です。

 私は1963年生まれなのですが、60年代以降、第二次世界大戦を題材にした大作映画が、世界中で次々と封切られました。アメリカ映画の『史上最大の作戦』(62年)から、ユーゴスラビア映画の『ネレトバの戦い』(69年)、イギリス映画の『空軍大戦略』(同)、日米合作の『トラ・トラ・トラ!』(70年)などなど、例をあげればきりがありません。私は幼稚園児の頃から、そういう映画を好んで観ていました。とはいえ、別に私だけが特殊な子どもだったというわけでもないと思います。

 当時、テレビでは欧州戦線を舞台にしたアメリカのドラマ『コンバット!』が放送されていて、幼稚園でも「コンバットごっこ」が流行っていたんですよ。私は敵のドイツ兵役で、すぐに撃たれてしまって砂場で倒れたりして(笑)。そんな時代でしたから、クラスのみんなとも普通に戦争映画の話をしていました。

 特に60年代後半の戦争映画ブームは、もちろん当時のベトナム戦争の影響もあると思いますが、それよりも、大戦に従軍していた世代に余裕が出てきたことが大きかったのだと思います。戦争中に20代の若者だった人たちが、ちょうど40代から50代になっていました。冷戦真っ盛りでしたが、西側の国でも東側の国でも、ある程度の経済的余裕が出てきて、彼らは自分の青春時代を振り返るために戦争映画を観たがる。そういった時代的背景がありました。

 それに加えて、ちょっとした個人的背景もありました。私の伯父(母の姉の夫)は海軍兵学校の出身で終戦時は中尉、乗っていた空母が沈められるという経験をした人でした。幼い頃から母にその話を聞かされていて、小学生になると伯父本人からもポツリポツリと直接話を聞く機会もありました。ですから私の第二次世界大戦への興味というのは、幼稚園や小学校低学年の頃からですね。

週刊新潮の人気コラムを書籍化した『反復する昭和史』。混迷の時代と共鳴する歴史秘話。対米従属、保守・愛国、石油危機……。日本は何を学ばなかったか。

ドラマから文庫本、やがて歴史雑誌へ

 もう一つの柱は、NHKの大河ドラマです。初めて大河ドラマをある程度見たのは、小学3年生の時の『新・平家物語』(72年)でした。クラスメートも話題にしていたし、担任の教師がホームルームで「みんな、『新・平家物語』を見て」と言うので見始めたのですが、正直よくわからなかった。源氏と平家と朝廷で、やたらと登場人物が多すぎたし、それぞれの人間関係も複雑なので、誰が誰だか混乱してしまって。

 ところが翌年1月から、私は4月に小学4年生になる時ですが、司馬遼太郎原作の『国盗り物語』(73年)が始まると、これにはハマりました。前半は平幹二朗が演じる斎藤道三、後半は高橋英樹の織田信長が主人公ですが、特に信長のパートになってからは一段とのめり込みまして、「原作を読みたい」という気持ちが湧いてきた。それで四分冊の新潮文庫版を本屋さんで買って読み始めたんです。

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

注目の特集

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの電子書籍

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する