政治

日本共産党はなぜ「他人の生命に無責任」なのか――元海将がひもとく「非現実的な安全保障論」の戦後80年史

2026年9月4日


<span>日本共産党はなぜ「他人の生命に無責任」なのか――元海将がひもとく「非現実的な安全保障論」の戦後80年史</span>
2026年4月、「NO WAR! 憲法変えるな! 4・19国会正門前大行動」に参加した日本共産党の幹部たち(ロイター)

自他ともに認める代表的な護憲政党である日本共産党だが、戦後しばらくは「自衛権の確保」を主張し、9条を含む日本国憲法の制定そのものに反対していた。時代とともに方針を修正し、最終的には「自衛隊は違憲だが有事には活用する」という現在の立場に行きついた。しかし、護憲を掲げながら違憲行為を容認する矛盾の代償を、党自身ではなく他人(=自衛隊員)に負わせるという点で、論理的にも倫理的にも大きな問題がある。

「憲法9条に反対」から「護憲」政党へ

 日本共産党の安全保障政策を長期的に観察すると、一見奇妙な現象に行き当たる。今の共産党は「憲法9条擁護」「自衛隊違憲」「日米安全保障条約廃棄」「防衛費増額反対」を掲げる政党として知られる。ところが日本国憲法制定時、共産党は憲法案そのものに反対した。その重要な理由の一つは、ほかならぬ9条だった。

 1946年6月28日、衆議院の憲法草案審議において、共産党の野坂参三は「戦争には二つの種類がある。一つは正しくない不正の戦争、すなわち日本帝国主義者が起こした他国征服、侵略の戦争である。同時に、侵略された国が自国を守るための戦争は正しい戦争と言って差し支えない」と述べ、侵略戦争と自衛戦争を区別すべきだと主張した。戦争一般の放棄は自衛権を放棄することになり、民族の独立を危うくするというのが野坂の問題意識である。

 これに対し当時の吉田茂首相は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくのごときことを認めることが有害であると思う。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実である。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発するゆえんである」と答弁し、自衛戦争を例外として認めること自体を斥けた。「自衛権の確保」を主張する共産党と、それを「有害無益」と断じる保守政権。現在の政治的布置から見れば、まったく逆転した構図だった。

 しかしその後、共産党は9条を擁護する代表的な政党となり、自衛隊の能力、任務、権限を拡大するほぼすべての政策に反対し続けることになる。この変化を単に「変節」と呼ぶだけでは、何も説明したことにならない。重要なのは、共産党の安全保障政策の何が変化し、何が変化しなかったのかを腑分けし、その上で、現在の政策体系が内側に抱え込んだ論理矛盾を明るみに出すことである。

見落とされがちな中間史――「武装闘争路線」と「中立自衛」の時代

 1946年と現在とを直結させる議論には、重要な中間史が欠落していることがある。

 第一に、共産党自身が「軍事方針」を持った時期があるという事実である。1951年、いわゆる51年綱領のもとで党は武装闘争路線を採用し、「火炎瓶闘争」や「山村工作隊」などの非合法活動を展開した。この路線は1955年の六全協で「極左冒険主義」として自己批判され放棄されるが、党の安全保障政策史を論じる際にこの時期を省くことはできない。共産党は出発点においては「非武装絶対論」の政党でなかったどころか、自ら行う武力行使を肯定した時期すら持つのである。

 第二に、1961年綱領以降の宮本顕治体制下でも、共産党は純粋な非武装論に立っていたわけではない。党は「日米安保廃棄」と「日本の中立化」を掲げつつ、「独立・中立の日本」が「必要な自衛措置」をとることを否定してこなかった。9条と自衛の関係をどう最終処理するかは、「将来の国民的合意に委ねる」という含みを長く残していたのである。

 つまり共産党の路線は、「非武装絶対論」と「自衛権容認論」の間を揺れ動いてきたのであり、後述する2000年の「現実的修正」は突然の転換ではなく、党内に伏流していた自衛権論の再浮上として理解した方が正確である。

再軍備後の「違憲論への転換」と2000年の政策修正

 1950年の警察予備隊、1952年の保安隊、1954年の自衛隊創設と再軍備が進むと、共産党は自衛隊を「9条違反の存在」と位置づけるようになる。同時に9条への評価も反転した。制定時には「自衛権を過度に制限する規定」として批判した条文を、再軍備後には「政府の軍事政策を制約する憲法上の防壁」として積極的に評価するようになったのである。

 さらに2000年の第22回党大会で大きな政策修正が行われた。党は「憲法9条は国家の自衛権を否定していない」と明言し、「自衛隊の即時廃止」ではなく「安保廃棄前」「安保廃棄後」「国民合意による解消」という「三段階を経た段階的解消」の方針を採用した。しかも、「自衛隊が存在する過渡的な時期」に日本が急迫不正の主権侵害を受けた場合には「存在している自衛隊を国民の安全のために活用する」ことまで認めた。自衛隊は違憲であるが、当面は存続する。そして日本が攻撃されればその自衛隊を使用する――という政策への変化である。

 他方で、極めて強い政策的持続性が存在する。「PKO協力法」(1992年)、「周辺事態法」(99年)、「テロ対策特措法」(2001~07年)、「武力攻撃事態法」(03年)、「イラク特措法」(03~09年)、「海賊対処法」(09年)、「特定秘密保護法」(14年)、「防衛装備移転三原則による武器輸出の解禁」(同)、「集団的自衛権の限定的行使容認」(同)、「平和安全法制」(16年)、「反撃能力の保有と長射程ミサイルの導入決定」(22年)、「防衛費の大幅増額」(同)、「日米の指揮統制強化」(25年)、「装備移転規制のさらなる緩和」(26年)――。これら自衛隊の能力・任務・法的権限を拡大する主要政策のほぼすべてに、共産党は一貫して反対してきたのである。

 党の内在的論理から見れば、これは個々の法案への反対というより、日本が「海外で戦争できる国家」へ向かうことへの反対である。だからこそ争点となる法律や装備が時代ごとに変わっても、「戦争への道」「戦争国家」という類似の表現が繰り返し使われてきた。

自衛隊「活用」論が生んだ実務的空洞

 筆者が約40年の自衛隊での勤務経験(防大含む)から最も指摘したいのは、2000年の現実的修正が新たに生み出した「実務上の深刻な空洞」である。

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