「テニスと文転」 型破りな東大時代
宇波君と私は、2人とも1浪していて、ともに昭和59年(1984年)に東京大学に入学しました。
東大には「トマトテニスクラブ」というテニスサークルがあるんですが、2人ともそこに入り、彼と出会いました。テニスサークルとはいえ、かなり真面目で硬派な、一生懸命テニスをやるサークルです。後輩には木原誠二君なんかもいる。役所に入った人間が結構多いんですよ。学生時代は、私も彼もテニスをごりごりやっていました。私がキャプテン、彼もレギュラーとして、テニスに打ち込んだものです。
東大では1、2年生は教養学部前期課程で勉強し、3、4年生で本格的な学部に進みます。2年生から3年生になる際の「進振り(進学振分け)」で学部を決めるんですが、文1の人は法学部へ、文2は経済学部へ、というように基本的なルートが決まっています。
ところが宇波君は理2で入学してきた理系。それでも文科系の仕事に就きたいという思いを持ち、文転のために頑張ったんです。当時から、彼には国家の運営に携わりたいという気持ちがあったんだと思いますね。
ただ、理系から文系の学部に行くのはすごく難しい。1、2年生では文1の私は文系の教養科目を、理系の宇波君は理系の教養科目をとるわけです。他学部を目指すなら、その成績がずば抜けていないといけない。かなりの狭き門なんですね。宇波君も本当に苦労していましたよ。
1回目は上手くいかなかった。2年生から3年生に進む際に文転できず、1年留年して、もう1年余分に2年生を過ごすことになりました。そうして遅れて経済学部に入ることになったんです。
理2であれば本来は農学部や薬学部に行くものですが、特段そういう分野に興味があったわけではないと思います。「理系だから」ということで理2に進んだけれど、やはり国政や官僚のことが頭に浮かんだのではないでしょうか。
図書館の同志、そして大蔵省の同期へ
こうして宇波君が1年留年することになるわけですが、大蔵省では私と同期になります。というのも、私自身も公務員試験に失敗したんです。4年生の時に初めて受験したんですが、テニスのやりすぎで……(笑)。1年留年し、5年目の時に合格しました。宇波君は2年生を2回やっているので、彼が4年生の時が私の5年生に当たる。ちょうど同じタイミングだったんです。
試験前は、東大の図書館で毎日一緒に勉強していましたね。彼は成績も良かったから卒業が視野に入っていたし、私も「5年目はもう落ちられない」とさすがに真面目にやりました。
行き帰りの路線も同じだったんですよ。彼は練馬の方で、私は池袋の一つ外側。つまり2人とも西武池袋線だったわけです。同じ路線で乗ってきて、図書館で勉強して帰る――そんな日々でした。だから一番仲が良いのは、私は宇波君だと思っているし、宇波君も私だと思っているんじゃないでしょうかね。