ウクライナ侵攻の7カ月前、プーチンは長大な歴史論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」を発表していた。「特別軍事作戦」という言葉の根っこは、ここにある。
ヴァイキングのリューリクを建国の父とする「招致説」を、プーチンが選んだ理由。モンゴルの支配が東半分だけに及び、西側はポーランドの影響下に入ったという、ロシアとウクライナの分かれ道。そして1654年のペレヤスラフ協定を、ロシアは「再統合」と読み、ウクライナは「一時的な軍事協定」と読む。
タッカー・カールソンとの対談で、プーチンが世界中の視聴者の前でこの協定の写しを手渡した場面を、元大使はどう見たのか。呼び出されるたびに反論を用意して臨んだ、大使時代の知られざる駆け引きも語られます。