川口は自分の原点
「プライベート感にあふれた展示になりました。これまであまりさらけ出していなかった一面を、見てもらう機会になりそうです」
個展オープンを控えた展示室で、蜷川実花がそう言って笑顔を見せる。
埼玉県の川口にこのたび、新しい市立美術館が誕生した。川口駅前の好立地に現れた端正な建物のこけら落としとなるのが、開館記念特別展「蜷川実花展 はじまりの光」である。
国内外で抜群の認知度を誇るアーティスト蜷川実花の展覧会といえば、近年は、空間全体を極彩色の花々や光で埋め尽くす、体験型の大規模なインスタレーションが多かった。今回もそうした演出の効いた展示かと思いきや、ずいぶん趣が異なる。全体に一点ずつの写真作品をしっかり見せようという意図が感じられ、また家族など身の回りの事物をモチーフにした作品が目立つのだ。
なぜいま川口で、このような個展が開かれることとなったのか。その答えは蜷川実花本人の生い立ちに関わる。
蜷川実花の父は、2016年に世を去った演出家・蜷川幸雄である。川口市は父の生まれ育った町であり、彼女自身も幼少期にはよく、川口にある祖父母の家に預けられて過ごした。
そんな自分のルーツがある懐かしい土地に、このたび新しい美術館が開かれることとなったのだ。個展のオファーを受けるやいなや蜷川は、前のめりになって受諾した。
彼女の記憶のなかにある川口は、濃密な生活の匂いと路地裏の猥雑さを湛えていた。洋品店を営む祖父母の家には内風呂がなく、夕暮れどきに銭湯へと向かうと、オレンジ色の街灯がともり、ピンク映画館の看板がぼんやりと浮かび上がった。
地元の神社で開かれていた「おかめ市(酉の市)」の光景も、蜷川の脳裏に焼き付いているという。
「見世物小屋があって、バナナの叩き売りの声が響いて、鯉の活き造りをつくる屋台では血しぶきが飛んでいて……。不思議な熱気に満ちたハレの空間でした。 同じころ、父がアングラ演劇で心中物やギリシャ悲劇を演出していて、絢爛豪華な舞台のなかでは生と死がせめぎ合っていた。その舞台の光景と川口の町の記憶が、私のなかで混ざり合っています。どこまでが現実でどこからフィクションなのか、境界が曖昧になって揺らいでいるそうした状態こそ、私のつくるものの根底にずっと流れているものです」
虚構と現実が交錯する創作の原風景を得た町で個展ができるのなら、自身の原点である「写真」そのものと「家族の記憶」にまっすぐ向き合おう。そう心に決め、展示のプランが固まっていったという。
色彩を手放して、写真と向き合う
できあがった展示は二つの章で構成されている。第一章は、写真作品とじっくり対峙できる構成になっており、冒頭を飾るのはモノクロームの新作シリーズ《Dancing with Shadows in the Light》。蜷川実花のトレードマークである極彩色が会場いっぱいに広がるかと思い込んでいた向きには意外に思える、静謐な空間で展示が始まる意図を、本人が教えてくれた。