私の下積みは「表計算」だった
前回、私は採用の基準を論じ、「あなたの幹は、もう決まっている。あとは、どの枝を落とすかを決めるだけだ」と書いて筆を置いた。採用する者の目から見た話である。今回は、採用されて育つ人、つまり新卒で会社に入って最初の数年の人に宛てて書く。
その人たちの足元から、いま、ひとつの梯子が外されつつある。
新人はまず、議事録を取る。会議の資料をそろえる。先輩に頼まれて調べものをし、数字を表計算にまとめる。地味で、誰にでもできそうな仕事である。だが新人は、その一段一段を登りながら、会社がどう動いているのか、誰が何に困っているのかを覚えていった。一段目をこなせば、二段目を任される。そうやって数年かけて、自分で判断する仕事にたどり着く。
その一段目、二段目にあたる仕事を、いまAIが先に片づけてしまう。新卒で会社に入ったその日に、登るはずの梯子の下の段がない。経験を積もうとしても、積む場所がないのである。この問題を、どう越えるか。それが今回の主題だ。
新卒で入ったシスコシステムズで、私が最初に任された仕事は表計算だった。
シスコは製品を代理店経由で売っていた。どの代理店が、どのルーターを、どれだけ売っているか。それを一覧にまとめるのが最初の仕事である。代理店のエンジニアには、シスコが定めた認定エンジニアの資格が何種類もあり、それぞれに取得の難易度が設定されていた。難易度の高い資格を持つエンジニアが何人、中くらいが何人、易しいものが何人いなければ、この製品は扱えない。さらに、最難関の資格者が何人以上いれば、仕入れ値から何%を割り引く。そうした条件の組み合わせを、ひとつずつ表に起こしていった。
ほかの仕事も似たようなものだった。代理店の料率がどのような仕組みで決まるのかを、社内の文書を片端から洗って頭に叩き込む。代理店とのメーリングリストに入れてもらい、日々のやり取りを読んで覚える。本社で代理店の料率を担当する人が来日すると、鞄を持って同行する。いま振り返っても、極めて泥臭い仕事ばかりだった。
こうした下積みは、昔から育成の仕組みとして働いてきた。中世ヨーロッパの職人組合では、徒弟は親方の工房で何年も雑用をこなしながら技を覚えた。イングランドは1563年の職人規制法で、七年の徒弟奉公を職人になる条件に定めている。日本の商家には丁稚奉公があり、戦後に広く定着した新卒一括採用と配属後の現場教育が、それを引き継いだ。形は違っても、一つの点で共通している。若者は安い労働を差し出し、組織はその代わりに仕事を教える。下積みとは、労働と教育の物々交換だった。
この交換がなぜ教育として機能したのか。人類学者のジーン・レイヴと教育学者のエティエンヌ・ウェンガーは、1991年の著書『状況に埋め込まれた学習』で、仕立て屋や助産師の徒弟を調べた。新参者は、失敗しても致命傷にならない周辺の仕事を正式に任され、手を動かしながら全体の流れを見て、少しずつ中心へ移っていく。彼らはこれを「正統的周辺参加」と呼んだ。学びは、周辺の仕事の中で起きる。
私の表計算も、まさに周辺の仕事だった。代理店政策という本丸を決めるのは私ではない。だが資格者の人数と割引率の表を何十行も起こすうちに、仕事に関する大切なことが体に入った。割引率をどこに置くかで、代理店の行動が変わる。エンジニアに難しい資格を取らせるか、易しい資格で済ませるか。代理店は、私たちが表に書いた数字に沿って動く。値づけとは、相手の行動を設計することだった。第2回で私は、営業の取り分の設計を「社内に向けた値づけ」と呼び、代理店政策をその社外への広がりとして書いた。その原点は、新人の机の上の表計算にあったわけだ。