<span>格差と孤立の時代に「共通善」を問う――ヴァンスとデニーンが提示するポストリベラルの構想を読み解く</span>
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アメリカ副大統領J・D・ヴァンスを理解するうえで、思想家パトリック・J・デニーンの存在は無視できない。ポスト・リベラリズムを代表する論客であるデニーンは、これまで幾度となく「リベラリズムは失敗した」と論じてきた。格差の拡大、住宅や医療費の高騰など、個人の努力だけでは解決しにくい問題が深刻化するアメリカで、その主張は一定の共感を集めて不思議でない。ヴァンスも近著『Communion: Finding My Way Back to Faith』(6月刊、未邦訳)で、自らのカトリックへの転向を振り返りながら、行き過ぎた個人主義が共同体を解体してきたと論じる。彼らはいったい何を批判し、どのような社会を構想しているのか。 神戸大学教授で『アメリカの新右翼 トランプを生み出した思想家たち』(新潮選書)などの著作がある井上弘貴氏と、立教大学教授で『福音派 終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(中公新書)などの著書がある加藤喜之氏が、ヴァンスとデニーンの思想の背景を読み解く。

※本稿は新潮QUEによる対談動画【「右か左か」ではなく「上か下か」 中間選挙にみる、アメリカ政界の新たな局面を読み解く】の一部を抜粋し、構成したものです。

J・D・ヴァンスとパトリック・デニーンの関係性

井上氏:
 J・D・ヴァンスとパトリック・J・デニーン。トランプ政権の思想的背景を語る際、しばしばこの2人の名前がセットで登場します。ヴァンス氏はトランプ政権の副大統領として権力の中枢に立ち、デニーン氏はポスト・リベラリズムを思想的に練り上げてきた人物です。2人はともにポストリベラルであることを公言しており、ヴァンス副大統領のカトリックへの転向をめぐっては、デニーン氏らカトリックの知識人との個人的なつながりが重要な意味をもったと言われています。

 ヴァンス副大統領の名が広く知られるようになったきっかけは、2016年の回顧録『Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis』(邦訳は『ヒルビリー・エレジー――アメリカの繁栄から取り残された白人たち』、光文社)の出版です。オハイオ州のミドルタウンに育ち、ケンタッキー州のアパラチア地域に母方のルーツを持つ自身の生い立ちを通じて、白人労働者階級の家族やコミュニティが直面している困難を描いたこの著作は、「トランプ現象」を読み解こうとする人々のあいだでベストセラーとなりました。

――それから約10年が経ち、ヴァンスが上梓した新著が『コミュニオン(Communion)』。副題には「信仰への道をどう取り戻したか(Finding My Way Back to Faith)」とある。

井上氏:
 この本のタイトルである「コミュニオン」は非常にキリスト教的な言葉で、“聖餐”や“交わり”を意味します。『ヒルビリー・エレジー』と同じく、自身の生い立ちについて語る内容となっていますが、前作と大きく違う点は、より宗教的な視点に踏み込んでいることです。特に、なぜプロテスタントのキリスト教徒から無神論者を経て、カトリックに転向したのかというところに重点が置かれています『ヒルビリー・エレジー』のなかでも、信仰と無神論のあいだを揺れ動いた変遷は描かれていますが、新著ではさらに踏み込み、カトリックの信仰がなぜ自分を捉えたのかを思想的に説明しようとしています。

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