連載|経済・ビジネス
Vol. 3
ニュートンをも熱狂させた「南海バブル」にみる英仏の“明暗” 金融危機下の英国はなぜ国家信用を守れたのか
2026年10月23日

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英国の物理学者・数学者アイザック・ニュートン(1643~1727年)。南海バブルでは南海会社株に投資し、大きな損失を被ったとされる。 (C)Science Photo Library via Reuters Connect
1720年、フランスの「ミシシッピ・バブル」と時を同じくして、英国を熱狂に巻き込んだのが「南海バブル」だ。フランスでは、バブル崩壊とともにローが築いた銀行・紙幣・国家債務を一体化したシステムは解体された。これに対し英国では制度自体は維持される帰結に至った。この明暗を分けたものとは何か。後のロンドン金融市場とポンド覇権を支える歴史的背景の一つがここにある。
※本稿は、BNPパリバ証券がクライアント向けに発行するレポートを基に再構成したものです。
ハーレーが設立を主導した南海会社
前回は、フランスのミシシッピ・バブルについて論じた。同じ夢を見ていたのは、フランスだけではない。ドーバー海峡の向こう側の英国でも、国家債務を株式に転換し、新世界との貿易によって財政を立て直そうとする構想が進んでいた。
フランスにジョン・ローがいたなら、英国にはロバート・ハーレーがいた。ハーレーは、アン女王の治世に政権の中枢を担った政治家である。スペイン継承戦争が長期化する中、英国政府は陸軍や海軍の支払いを賄うため、短期の借入を繰り返していた。しかも、その多くは現在の国債のように条件が統一されたものではなかった。
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