「数」は「計算されるもの」から「計算するもの」になった
かつて、「数」は人間が計算するものでした。指を使って、小石を使って、あるいは鉛筆を使って――。長い歴史において、人間はずっと主体的な存在として計算を行い、数は「計算されるもの」、つまり操作の対象だったのです。
それを大きく転回したのがイギリス人数学者アラン・チューリングの発明でした。チューリングが理論的に発明したコンピュータは、数字列として書き出されたプログラムに従って計算を行います。つまり、「数」は「計算されるもの」にとどまらず、「計算するもの」にもなれるということを彼は示したのです。「数」に「計算される」と「計算する」という両義性が与えられたことで生まれたのが万能チューリングマシンであり、いま我々が手にしているスマートフォンはその具現化です。
この、「数」に両義性を与えるチューリングの方法を意外な仕方で応用したのが数学者のジョン・フォン・ノイマンです。まだ最初のデジタルコンピュータが誕生してまもない頃、ノイマンは「自己複製」する機械を実現するための方法を考えていました。
「自分のコピーを自分で作る」というのは案外難しい問題です。動き続けている自分を直接コピーしようとすると、コピーしている間に自分は変わっていってしまう。自己複製は一見すると矛盾をはらんでいるようでもあるのです。
ノイマンはこの見かけの矛盾を解決する方法を突き止めた。いわゆる「自己複製オートマトン」の理論です。彼は、動き続けている自分を直接コピーするのではなく、自分自身をいったん静的なデジタルコードに落とし込んだ後にこれをコピーするという二段構えによって、自己複製が実現できると証明したのです。静的なコードを読み解き、書かれた指示通りに機械を組み立てることができる機能と、そのコードを自分の内部にコピーできる機能の両方を持つことで、自己複製が可能になるということが分かった。
記号列としてのデジタルコードが、複製されるべきデータになり、同時にどのような対象を作ればいいかを指示するプログラムにもなる、という点でこれはチューリングの示した「数」の両義性のアイデアの延長線上にあります。
奇しくもノイマンがこの理論を数学的に証明した数年後に、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発見し、実際の生命でも同様の方法で情報の「複製」が行われていることが分かりました。生命もまた、DNAの塩基配列として書き出されたデジタルコードを保持していて、これを複製し、さらにプログラムとして読み込むリボソームがタンパク質を構成するという二段構えによって、自己複製を実現しているのです。