カルチャー

「印象派」「ロートレック」「ゴッホ」音楽と絵画がカフェで交錯した19世紀パリの悦楽

2026年7月19日


<span>「印象派」「ロートレック」「ゴッホ」音楽と絵画がカフェで交錯した19世紀パリの悦楽</span>
《パリの魅力》(1912年、GP Archives蔵 Pathe作品より抜粋)より 人々が集い、芸術醸成の場として機能したパリのカフェを映した貴重な映像

美術史に革命を起こした印象派が生まれたのは1874年のことだ。官展に出展できない画家たちが自ら展示会を開き、その中でモネの「印象、日の出」が酷評されたことが名前の由来になった。19世紀後半、そうした若い画家たちはカフェに集い、侃々諤々の議論を戦わせた。カフェという磁場から生まれたアートとはいかなるものだったのか。

 まずは、小説家と画家が向き合った19世紀パリのカフェのテーブルで繰り広げられた架空の会話を少々。

「俺は小説を書くのが本業だから適当なことを言えるんだけど、絵って描こうと思ったら何でも描けるよね」

「そりゃそうだ。花でも木でも街の風景でもピクニックの様子でも。何ならうちの娘だって……」

「なのになんで画家たちはお決まりの絵ばっかり描いているんだろうね」

「官展(サロン)に出品してる画家たちのことかい? あいつらは宗教画と歴史画でおまんま食ってるから、仕方ないんじゃない?」

「そういえば、最近はチューブに入った絵の具が売られてるんだってね」

「そうそう、便利なもんだよ。前は、アトリエの中で絵の具をいちいち作んなきゃいけなかったからね。おかげで、外に出て絵が描けるようになったんだ。くるくる巻いたカンヴァスと折りたたみ式のイーゼル(画架)を持って、友達と一緒に近所に出かけたりしてる」

「いいね! 陽光を浴びながら描けるのか」

「太陽は明るい! 絵も明るくなくちゃ!」

「絵の中に新しい世界が広がりそうだね」

「外に出ると、いろんな絵が描けるのがものすごくありがたい。俺は実は鉄道が好きでね。しょっちゅうサン=ラザール駅に行ってるんだけど、今度蒸気機関車を描いてみようと思ってるんだよ」

「うん、俺もあの煙にはよく見入ってしまうよ。かっこいい絵ができそうだな」

「ふふふ…」

 印象派はひょっとしたら、パリのカフェでこんな会話が繰り広げられる中で生まれたのかもしれない。そんなことが想像できる興味深い展覧会「“カフェ”に集う芸術家―印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで」が、東京・丸の内の三菱一号館美術館で開かれている(9月23日まで。その後、広島市のひろしま美術館に巡回の予定)。ここではその展示の一部を見ていくことで、19世紀のパリにおけるカフェのはたした役割をあぶり出してみよう。

オーギュスト・ルノワール《パリ、トリニテ広場》(1875年、ひろしま美術館蔵)展示風景=筆者撮影
トリニテ広場を北に進んだところに、印象派の画家が多く集まった「カフェ・ゲルボワ」があったという


「カフェ・ゲルボワ」で主題を見出したドガ

 19世紀後半のパリではカフェ文化が花盛り。音楽演奏があったカフェ・コンセールや、ダンスがショーとして催されていたキャバレーは、芸術文化を生み出す重要な場として存在していた。1860年代以降になると、文豪エミール・ゾラや批評家・詩人のシャルル・ボードレールがカフェで芸術談義に花を咲かせる空気の中で、若きモネやルノワールたちは先輩画家だったマネを慕ってパリの北側に位置する小高い丘、モンマルトルにあった「カフェ・ゲルボワ」に集まっていたそうだ。そこで交わされていたのが侃々諤々の議論だったのか、あるいは、わいわいがやがやの現代の居酒屋のような盛り上がりだったのかは想像するしかない。だが、そうした場に芸術家たちが集まれば、大きなエネルギーが発生する。表現の革新を推し進める要因になったのは間違いないだろう。こうしてカフェは、印象派が生まれる重要な場として機能したのだ。

エドガー・ドガ《赤い服の踊り子》(1897年頃、パステル、カルトン、ひろしま美術館蔵)展示風景=筆者撮影


 ドガは、踊り子をモチーフにした画家として世間的にも有名だ。

 踊り子は、当時のパリの文化の一面を象徴していた。歌などのショーを楽しめる「カフェ・コンセール」やキャバレーで、踊り子たちは活動し、ドガは、彼女たちの舞台裏の姿をしばしば描いた。そして、ドガも「カフェ・ゲルボワ」に顔を出した画家の一人だったという。もともと歴史画を描いていたドガが、カフェでさまざまな会話をする中で市井を描くことに意義を感じ、モネやルノワールとは異なるモチーフに自分の世界を見つけたわけだ。

 ドガの表現は巧みだ。《赤い服の踊り子》では、舞台裏にいる踊り子が右手で左耳を触る何気ない姿が、ドガが得意としたパステルで描かれている。踊っているときの華やかさとは異なる日常的なダンサーの素顔を描く手法は、現代のテレビ番組でスターの日常を取材するあり方に通じている。それはおそらく、当時の人々にとっても踊り子(ダンサー)への親近感を呼んだのではなかろうか。


花開くポスター文化

 ポスターに登場するダンサーは、華やかだ。

ジュール・シェレ《「ロータスの花」フォリー・ベルジェール》(1893年、リトグラフ、京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵)展示風景=筆者撮影

 ジュール・シェレのポスターを見ると、ダンサーたちのショーを見に行くと楽しい経験ができそうだという気持ちがかき立てられる。
 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ジャヌ・アヴリル(ジャルダン・ド・パリ)》(1893年、リトグラフ、三菱一号館美術館蔵)

 ロートレックのポスター《ジャヌ・アヴリル(ジャルダン・ド・パリ)》で注目すべきは、ダンサーの手前にコントラバス、すなわち楽器の一部が描かれていることだろう。ダンサーたちが踊った場は、当然のことながら音楽に満ちていた。当時は、エジソンが米国で蓄音機を発明したばかりの頃で、レコード等で広い空間に音楽を流す技術はまだ確立していなかったから、すべては生演奏だった。現代から考えると、なんと贅沢な場だったのだろうと思う。


カフェ・コンセールは新人歌手の登竜門だった

 そのほかにもなかなかユニークなポスターがある。

ルイ・アンクタン《マルグリット・デュフェ公演》(1891年頃、リトグラフ、京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵)展示風景=筆者撮影

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