<span>「凶暴な熊」と「臆病な熊」の議論はなぜかみ合わないのか――熊騒動の根底にあるもの【前編】</span>
ヒグマ 写真:Musashi2001/shutterstock.com

カルチャー

「凶暴な熊」と「臆病な熊」の議論はなぜかみ合わないのか――熊騒動の根底にあるもの【前編】

2026年8月11日

 サバイバル登山家の服部文祥さん、極地探検家の角幡唯介さん、写真家の石川直樹さん。旧知の3人が、2025年12月に秋田市で行われたトークイベントに招かれた。テーマは「クマと人の共生を学ぶ」。多くの被害者、犠牲者を出している今、「熊との共生」論はかなり分が悪い。被害の現場を知らない夢想に過ぎないではないか、と。しかし実際に熊が出没する山に数多く足を踏み入れ、彼らを撃ち、肉を食べる、といった経験を持つ服部さんと角幡さんは、熊対策の重要性は理解しつつも、最近の熊についての言説には違和感を覚えるという。その「熊論」は文明論にまで発展していき――。異論反論覚悟のうえ、極限を知る男たちによる大胆かつ忌憚のない座談会をお届けする。第一回は3人が過去に経験した「熊」との遭遇から一連の騒動の根底にあるものを、それぞれの視点から考察する。

「人を恐れない」羅臼岳ヒグマ事故の個体

石川 2025年8月14日に北海道、道東の知床半島で一番高い山、羅臼岳で、登山者が下山中に熊に襲われるという出来事がありました。

服部 死亡事故だよね。

石川 そうです。

服部 トレランをしていたとか。

石川 実際には足早に下山していただけで、トレイルランナーではないですね。襲ったのは2頭の子熊を連れた母熊と言われていますが、その母熊がもしかしたら僕が7年ぐらい前に羅臼岳で出会った熊と同一個体の可能性もあって、そのときの映像を持ってきました。今からスクリーンに投影しますね。

 羅臼岳の山中に岩場があって、その蟻塚と呼ばれる場所で2025年に熊と下山中の登山者が鉢合わせして、熊に襲われてしまった。この映像は、残雪期のその蟻塚です。

北海道犬のチャイと蟻塚のある岩峰 ©2017 石川直樹

服部 北海道に蟻塚があるの?

石川 塚状の巣を意味する蟻塚ではなく、蟻がたくさん生息していてそう呼ばれるに至った地名です。登山道沿いにあります。まだ雪が残る季節、たぶん5月くらいだったかな、知り合いと一緒に羅臼岳に登ったんです。チャイという北海道犬も連れていきました。この蟻塚は登山道のすぐ近くにあり、たしかに蟻がいっぱいいて、熊もよく出てくる場所です。この南側の登山道で登山者が襲われたと言われています。

 もう一つの動画は、2017年秋の、同じく羅臼岳の映像で、このときは羅臼岳から三ツ峰、サシルイ岳、オッカバケ岳、南岳、知円別岳を経て、硫黄山まで縦走しました。羅臼岳西側の登山口にある木下小屋から入って羅臼岳に登頂しました。これが羅臼岳の頂上からの眺めです。北方領土の国後島が見えます。

羅臼岳頂上から見た国後島 ©2017 石川直樹

 そして次、羅臼岳のテントサイトには(熊が匂いにつられて寄ってこないように)フードロッカーという金属製の食料保管庫があります。アラスカのデナリ国立公園などにもありますね。この近くに熊がいました。この熊は、自分が鍋を叩いて金属音を出したり、大声で何度叫び続けても逃げなかった。せいぜい一瞥をくれる程度で、同じ場所にずっといる。これが、もしかしたら、後に「岩尾別の母」と呼ばれる、2025年8月に人を襲った熊と同一の個体かもしれない、ということです。このときから、まったく人間を恐れないタイプの熊でした。

フードロッカーと熊 ©2017 石川直樹
テントサイト付近でクマと遭遇する ©2017 石川直樹
羅臼岳のテントサイトの近くに熊がいる ©2017 石川直樹

7年前は人に興味を示さなかった

石川 われわれはここで一泊しました。朝を迎えて、テントの外に出たらすぐ近くに、前日にはなかった熊の糞や足跡があったんです。

服部 新たな痕跡が増えていたということね。

石川 はい。テントの近くまで来てはいたけれど、ぼくたちに関心を示さず、まわりに落ちている松ぼっくりを食い続けていた。これはテントのすぐ近くの映像ですけど、松ぼっくりのいい匂いのするウンコです。

服部 新品。

石川 はい。ちょっと柑橘っぽい香りがしました。これは2017年9月の映像で、このときはまだ子熊はいません。2025年に羅臼岳で人を襲った熊は11歳と推定されています。そこから逆算すると、このときは3~4歳ぐらい。

(別の画像を見せながら)これが2025年8月に人を襲ったと言われる熊の写真で、「岩尾別の母」と呼ばれていた個体です。パンダ目をしていて、脇に白い毛があり、人を恐れない熊だった。

 先ほどお見せした、僕が2017年に出会った熊と体の毛の色の特徴がよく似ていますし、逃げない、人を怖れないという性格も同じです。同一個体だとすると、2017年に自分が出会ったときは3歳か4歳のときで、現在は11歳、子熊が2頭生まれていて、蟻塚付近で人間と出くわし、人を襲い、駆除されてしまいました。

 人間にもいろんな性格があるように、生まれつき人間を恐れない性格の熊は一定数いる、と言われていますね。人間が持ってきた食料の味を覚えた、とか、餌付けされていたとかでは当然なくて、性格的にそういう熊だった、と。

角幡 人を恐れない熊がいるのは、知床の地域的な特殊性みたいなものも、あるんじゃないかな。知床は観光客も多いし、羅臼岳もそれなりに登山者がいる。遊覧船で熊を見に来る人もたくさんいるし。

石川 知床は元々、ベアカントリー、つまり「熊がいる場所」に人間が住み着いたわけで、実際に熊の個体数は多いにもかかわらず、2017年ぐらいまでの何十年間も人間と熊の事故は起こっていなかった。だから「知床の熊は人を襲わない」なんて一般的に言われるようになって、そんな知床で事故が起こったから、地元の人も僕もびっくりしたんですよね。

 今回の熊の場合、事故の直前になって何度か人に近づいてくるようになって警戒レベルを上げていたということですが、そこに何か原因があるのか、ということはちょっと置いておくとして、まず人を恐れない性格の熊がいること、そして、攻撃性が高まる子連れの時に、不幸にも登山者と鉢合わせして襲われてしまった、ということを知るに至ったわけです。

街に出る熊と、山奥の熊の違い

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