生活の中に再び自然を取り込めるか
石川 二人は狩猟をやってるけど、僕はやっていない。けれども、考え方としてはいつもそういう自立した生活のことを頭の片隅に置きながら生きているつもりです。だから矛盾を抱えながら生きている。服部さんがさっき、もうこの先はないんじゃないかみたいなことを言ってたけど、現実的にどうやって生きていけばいいんだろうと、話を聞きながら考え込んでしまいました。さて……、どうすればいいですかね。
角幡 それがわかればなぁ……。俺が知りたいよ。
服部 俺は熊と一緒に人間社会と戦うよ。
角幡 (笑)。だから、服部さんの個人的レベルとか俺の個人的レベルなら、それぞれ好き勝手にやればいいけど……。社会的な対策はもう僕らが決められることじゃない。
石川 日本では本当の意味で自然に近い生活はもう無理なんじゃないかみたいなことを角幡さんが言っていたけど、例えば北海道だったらアイヌの文化や受け継がれてきた祭祀儀礼もあるし、東北だったらマタギの世界とか、なんていうんでしょうかね、表面的な意味じゃなくて、精神的にも、自然ともうちょっと深い意味で共生している人はまだまだいると思うんです。
角幡 個人レベルではできるし、生活も思想も自然に近いところで暮らしている人は今もたくさんいると思うけど、社会全体の方向性みたいなものが、熊が街に出没せずに山でちゃんと生きていたような昔の状態に戻るためには、里山に人が増えて、効率最優先の資本主義と距離を置かないと……。個人で何人かが自然と共生したところで、なにも変わらないわけですよ。
自然との共生が大きなムーブメントになるという未来は、ちょっと今の日本じゃ考えられない。それは多分、資本主義って効率化してどんどん人に楽をさせていくシステムだから、その大本であるシステムを変更しないかぎり根本からは変わりようがない……。
服部 苫小牧の近くに(アイヌの文化や歴史に触れる施設)「ウポポイ」を作ったじゃん。でも、アイヌの特別な祭とかを紹介して、これがアイヌ文化だというのは、俺は違うと思うんだよね。そうじゃなくて、彼らが日々何を食っていたか、どんな生活をしていたのかっていうことを、実際に自分たちの生活に織り込んでいく機会にならないと。テーマパークの中身がジェットコースターからアイヌのお祭りになっただけで、楽しんで消費して終わりじゃんって。
石川 服部さんが言っていることはわかるけど、そこはほら、入門編じゃないけれども、少しずつ知っていくための入口として必要な部分ではありますよ。それに、ウポポイでは祭りだけを紹介しているわけじゃなくて、現代アイヌの在り方についても触れられていますよ。もちろん、特別な行事だけでアイヌのことを知るのは不十分、というのはよくわかりますが。
服部 テーマパークを入口にして、奥に入っていったら熊肉を食えるようにするっていうのはどうかな。でも、金払って食ったらスーパーの豚肉と同じか。味は違うけど、体験としては変わらないか。
石川 服部さんとか角幡さん以上に極端な人もいて、『グリズリーマン』という映画があって、ヴェルナー・ヘルツォークっていう、ぼくが好きなドイツの映画監督が作った作品に出てきます。『グリズリーマン』は、ティモシー・トレッドウェルという実在のアメリカ人が、アラスカで13年間熊と一緒に暮らしていた記録を編集したものです。彼は、人間の社会が嫌で熊の世界に活路を見いだし、人間と野生動物が互いに理解し合えると信じていた。そして13年間グリズリーと暮らすんだけど、最後はアラスカのカトマイ国立公園で熊に襲われて、殺されちゃう。世間一般からは、狂人というレッテルを貼られていたけど、「人間の社会じゃなくて熊の世界で俺は生きていく」と言って本当にやったのは、ちょっと新しい人類みたいに感じました。
服部 もののけ姫だね。
石川 この映画を作ったヘルツォーク監督を僕はずっと注目していて、フランスの洞窟壁画を追ったり、オーストラリアのアボリジニの世界観を実直に映画に生かしたりしています。彼自身は、『グリズリーマン』のなかで「自然の中に調和や愛を見ようとは思わない。私が見るのは、無関心で、混沌とした世界だ」という立場を語っています。熊が話題になっている日本でも、ぜひ多くの人に観てほしい映画なんですけど。
魂を送る「儀式」の意味
石川 アイヌの話で言えば、弟子屈(てしかが)でアイヌの方の鹿猟に同行したときに、彼らが鹿を撃って、解体して、お祈りをして……という、狩猟の一連の所作みたいなものを見せていただいたことがあります。毛皮の中の存在が、毛皮から出てきて、解放されていくというような感覚で僕は捉えました。だからこそ、人間は毛皮を着たり、鹿の頭を飾り付けたりもする。この世では鹿は殺されたけど、とても人間に大切にされていたんだよっていうことを、撃たれた鹿があの世で、鹿の仲間たちに伝えるために飾り付けたりして、丁寧に送り出す。
イヨマンテ(動物の魂を神の国に送るためのアイヌの儀式)で熊の頭蓋骨を飾り付けるというのは、現世で殺されて、魂が解放されて、熊があの世に行ったときに、人間の世界でこれだけ丁寧に扱われたよ、ということを撃たれた熊が熊仲間に言う、というような感覚ですよね。こうした儀礼をおこなうアイヌの人たちも伝統的な猟のとき以外は、普通の生活をしていると思うんだけれど、やっぱり要所要所でそういう考え方みたいなものがにじみ出てくる。