「セガと入交さんのおかげでエヌビディアは生き残りました」――フアンCEOの感謝の言葉
「フアンとの出会いは1994年に遡ります。まだ無名の青年だった彼が、私たちに会うために来日し、“一緒に家庭用ゲーム機のグラフィックチップをつくりたい”と売り込みをかけてきたのがそもそもの始まりでした」
こう振り返るのは、ホンダ副社長を経て、93年からセガ・エンタープライゼス副社長(98年に同社社長)を務めた入交(いりまじり)昭一郎氏(86)である。
7月15日、都内・秋葉原に現われたフアン氏は、入交氏ほか、里見治紀セガ会長(47)、内海州史同社長(65)、ゲームクリエイターの鈴木裕氏(68)らとともにトークイベントに登壇。終了後は神田のやきとん屋に向かい、旧交を温めた(12頁からのグラビア記事を参照)。
イベント冒頭で、
「セガと入交さんのおかげでエヌビディアは生き残りました。あれがなければ潰れていました」
と感謝の言葉を述べたフアン氏。その意味するところについて、入交氏が語るには、
「当時、3Dグラフィックスのチップ(後の画像処理装置GPU)開発に取り組んでいたフアンは、世界で初めて3Dグラフィックスを使ったセガのアーケードゲーム機『バーチャファイター』にいたく感銘を受け、“セガと仕事をしたい”と思ったそうです。彼の溢れんばかりのパッションに加え、ちょうど次世代ゲーム機『ドリームキャスト』の開発に着手するタイミングだったこともあり、彼と手を組むことを決めました」
しかし、ほどなくして問題が表面化する。エヌビディアは当時、四角形ポリゴン(多角形データ)を採用して半導体チップの開発を進めていたのだが、
「96年になって、フアンから“三角形ポリゴンでなければ次世代の3Dグラフィックスはつくれないようだ。自分たちのやり方が間違っていた”と連絡が来たのです。実はドリームキャストに搭載するチップについては、エヌビディア以外も英ビデオロジック(現イマジネーションテクノロジーズ)とも契約し、2社による競争開発という形を取っていました。開発期限が迫っていたこともあり、エヌビディア製は諦め、ビデオロジック社のチップを採用することを決断。そしてフアンと今後について話し合うため、私はすぐにサンフランシスコへ飛びました」(同)
エヌビディアの創業は93年。フアン氏と米IT大手サン・マイクロシステムズ出身のエンジニア二人によって立ち上げられたが、当時の社員数は現在の約0・04%に過ぎない20人程度。さらに売上のほぼ全てをセガとの取引が占めていたという。