親分に人生を乗っ取られた山城新伍
心酔できる上司や先輩との出会いを、多くの人が求める。しかし、その念願が叶った後にこそ、本当の問題が待ち構えている。人生を乗っ取られることがあるからだ。
往々にして、そうした上司や先輩は独自の価値観を有したカリスマだ。彼らだからこそ許されていた言動は沢山ある。たとえカリスマではなく、通俗的で良識的な人物だったとしても、その「良識」がいつの時代でも「良識」であるとは限らない。要するに、心酔した上司や先輩に人生を乗っ取られるほどの影響を受けてしまうと、非常識な振る舞いをしてしまったり、時代の変化に対応できず取り残されたりするというリスクが生じてしまう。だから、出会ったあとに解決すべき問題が生まれる。
『おこりんぼさびしんぼ』 (廣済堂文庫)は、若山富三郎・勝新太郎の役者兄弟を慕い続けた俳優・山城新伍による傑作だ。同書では、二人の親分に出会ってしまった山城の胸中が、数々の豪放磊落(ごうほうらいらく)なエピソードとともに描かれている。
1938年生まれの山城は、1959年に映画俳優としてデビュー。以後、テレビ番組の司会者、タレント、映画監督とマルチに活躍した一方、同じく俳優の花園ひろみと二度の結婚・離婚を繰り返すなど、奔放な私生活で知られた。近年では、ドラマ『不適切にもほどがある!』にて、お笑い芸人の秋山竜次が演じた昭和の深夜番組の司会者が、山城を連想させるとして話題になった。ドラマの題名通り、その司会者は「不適切にもほどがある」言動を繰り返す一方、ユーモラスで魅力的な紳士の一面も見せるという二面性が表現されていた。山城は次のように振り返っている。
若山富三郎、勝新太郎という兄弟と付き合ううちに、ぼくは自分の人生をこの二人に乗っ取られるのではないかという恐怖を感じ始めた。
二人とも、人と付き合う時は、常に自分が親分然としているようなところがある。特にぼくのような後輩にはそうだ。
(中略)
彼らがいるところ、すべてが舞台だった。
ぼくの人生はその舞台を見ることに、いやその舞台の脇を固めることに、ずいぶん時間をかけることになるのだった。
乗っ取られるかもしれないという恐怖は、いつの間にか消えていた。それは、もはや、乗っ取られていたからだ。
(山城新伍著『おこりんぼさびしんぼ』廣済堂文庫、2008年)
同書に登場する逸話は、豪快の域を優に通り越したものばかりだ。某女優との仲を週刊誌にスキャンダラスに書かれ激怒した若山富三郎が、子分たちに命じて編集長を旅館に「軟禁」し、しかも5000万円を要求したという話に至っては、もはやパワハラではなく犯罪に思える。が、当の編集長はどこ吹く風。同じく若山の子分だった菅原文太がこの騒動を面白がり「おう、てめえ、殺したろか、この野郎」などと映画のようなセリフを吐くと、編集長は煙草をふかしながら「すいませんねえ、どうも」と、まるで楽しむように応じる。そして翌日以降、編集長は若山と仲良くなってしまい、もはや軟禁されているのか取材に来ているのか分からなくなったという。
山城は、こうした芸能マスコミに対し「忍者」だとして敬意を払っていたようだ。この言葉は、ある写真週刊誌の売り文句だった「現代の忍者」という表現に由来する。忍者は、どこの忍であるか分からないよう顔を剥いだり焼いたりして死んだと山城は認識していたため、それくらいの覚悟があるのだと思っていたようだ。
そしてだからこそ山城は、フライデー襲撃事件における講談社の対応には落胆した。1986年、女性スキャンダルを報じられたビートたけしは、たけし軍団という配下の芸人たちを引き連れて「フライデー」編集部に殴り込みをかけた。この時、同誌編集部は警察に通報。たけしと軍団員は住居侵入、暴行、器物損壊の罪で現行犯逮捕された。
暴力を受けた市民が警察に通報すること自体は自然であり当然かもしれない。しかし、芸能界とマスコミがなす特殊な空間に対し、安易に警察という外部のモノサシを差しはさむことは許し難く、覚悟が足りないと山城の目には映ったのだろう。
蛇足だが、タレントの関根勤は自身のYouTubeチャンネル上で、たびたび二人の伝説を披露している。なかでも『【絶叫】驚愕!芸能界のホントにあったコワイ話 撮影現場でまさかの事態!若山富三郎&柳沢慎吾』は再生回数が239万回に達しており、数々の伝説が現代でもなお人々を惹きつけていることがうかがえる。いや、現代では決して許されることのない逸話だけに、かえって価値が高まっているのかもしれない。