<span>高市批判の「小姑化」が止まらない――その原因も高市総理本人にあるという「負のスパイラル」 </span>

高市政権発足直後から存在した、その評価を巡る「分断」はより深くなっている。一つの原因は、高市氏自身やスタッフらによる発信だろう。ライターの梶原麻衣子氏は、公私の区別がつかない発信、発言の数々が、批判者の「小姑」化を加速させ、不毛な対立を生んでいると指摘する。

「腰を据えて国家像を考えられない」

「私自身9か月間首相を務めて感じたことは、わが国が向かうべき方向性とか、国家像を腰を据えて戦略的に考える時間を取ることはなかなか簡単ではないということだ」

 7月末、特別国会の運営に関して野党から批判された高市総理は、国会における拘束時間が他国より長いと指摘したうえでこう述べた。誰よりも「国家像を腰を据えて戦略的に考える時間」を取らなければならないのが首相という立場であることを考えると、これは職務を十分にまっとうできていないと自ら暴露したに近い発言だ。

高市総理は国会会期後の連休時にあたる7月20日にはⅩに、こんな投稿を行った。

〈久々に5時間も睡眠を取れた上(総理就任以来、0時間〜3時間睡眠が常態化)〉

〈昼からは、手付かずだった大量の洗濯後のハンカチやインナーのアイロンかけと、お裁縫(スカートの裾のほつれのまつり縫いやジャケットの緩んだボタンの補強)を一気に処理〉

 この投稿も多くの批判を呼んだ。

 毎日、睡眠時間も取れないほど何をしているかと言えば、官僚からのレクを受けず文書で受け取ったものに手ずから赤線を引き引き「勉強」しているのだという。だが、首相という立場にある者が睡眠時間や家事の時間を削って、最優先でやらなければならないのは、「我が国が向かうべき方向性を考える」ことである。文書を作る官僚たちも国のトップが目指す国家像や方向性がわからなければ政策提言のしようがない。本末転倒との印象をぬぐえない内容だ。

 この投稿では睡眠時間の短さに注目が集まったが、読み取れる問題はそれだけではない。記者会見に応じない分、Ⅹで国民に直接語り掛けるという姿勢を取ってきた高市総理だが、文面には「総理としての立場と一個人としての立場」が混在している。要するに、公私の区別がついていないと思わざるを得ないのだ。

 こうした発信や発言は今に始まったことではない。

「お洋服」への言及が多い

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