<span>「映画をどう上映するかは、その時代への反応だ」——三宅唱監督が辿り着いた上映・配給・批評の交差点</span>

「作りたい映画を勝手に作り、勝手に上映する」をモットーに活動を続ける映像制作集団「空族」や真利子哲也監督、入江悠監督など、自主公開の突破口を開いた先輩たちに憧れ、自らも複数の自作の配給・上映を手掛けてきた三宅唱監督。近年では『ケイコ 目を澄ませて』『夜明けのすべて』『旅と日々』が高い評価を受ける監督はどのように観客に映画を届けてきたのか。

初期作での自主配給の体験

 三宅唱監督に映画館について話を聞くなら、どういう話から始めたらいいだろうと、取材を前に少し悩んだ。三宅監督と映画館との縁が深いことは、過去に何度かインタビューをした経験からよく知っていた。大学時代からシネセゾン渋谷でアルバイトをしていたこと。函館にあるミニシアターのシネマアイリスからの依頼で、佐藤泰志原作の映画『きみの鳥はうたえる』(2018)を作ったこと。初めて映画を撮ったのは中学3年生のとき、文化祭で上映するための作品で、きっと故郷の札幌でもいろんな映画館に通っただろうとも予想していた。

 聞きたい話は山積みだったけれど、やはり聞いてみたかったのは、長編2作目となる『Playback』の劇場公開にまつわる話。村上淳さんを主演にした『Playback』は、2012年11月にオーディトリウム渋谷で公開され10週にわたるロングランを記録した。新人監督の自主映画の上映としては異例で、さらに監督が同世代の仲間たちと一緒に自主配給というスタイルを取っていたことも話題となった。

 近年は、作品によってあえて小さな規模で仲間たちと配給する形を選ぶ若い監督は珍しくないし、『Playback』が公開された2012年前後にも「監督による自主配給」というスタイルはさまざまな形であった。それでも、三宅監督があの当時どのような経緯から自作の上映活動に向かっていったのか、今改めて話を聞いてみたい。

『Playback』について話を聞く前に、故郷の札幌で撮影をした初長編『やくたたず』(2010)から振り返ってみたい。助成金をもとに自主制作映画として作った『やくたたず』は、完成後に池袋のシネマ・ロサなどで限定的に上映されたものの、劇場公開の予定は決まっていないままだった。なんらかの形で劇場公開を目指せたら、と考えていた三宅監督の背中を押したのは、当時、映画雑誌『NOBODY』の編集委員をしていて、その後『きみの鳥はうたえる』までプロデューサーとして伴走することになる松井宏さんだ。

三宅「松井さんから、一緒に公開を目指して動いてみようと誘われたのが始まりでした。といっても当然二人とも配給の知識なんてまったくない。通常なら、配給会社や宣伝会社、映画館の人たちに掛け合っていくのが道筋になるんですが、何か別のステップとか、面白そうな抜け道を探したいというのが僕と松井さんの一致した態度でした。

 何か新しいやり方で公開の道を探せないかなと相談するうちに松井さんが思いついたのが、“俳優さんにこの映画を見てもらい応援してもらおう”という作戦でした。それで松井さんが雑誌の取材で会った村上淳さんに『やくたたず』のDVDを渡して“三宅という新人監督が撮った映画なので、よかったら見てもらえませんか”とお願いした。そうしたら後日、村上淳さんの事務所の方から連絡が来て、“映画をとても気に入ったので、ぜひ一緒に映画を作りましょう”と言ってもらったわけです。当然驚いたものの、映画を作れるのは願ってもないこと。『やくたたず』の公開は一度傍に置いて、早速『Playback』の製作にとりかかりました」

 こうして『やくたたず』の公開が決まる前に長編2作目『Playback』の製作がスタートし、完成後には2012年8月にはロカルノ国際映画祭への出品も決まった。映画祭への出品準備を進めると同時に、監督と本作のプロデューサーを務めた松井さんは、劇場公開に向け動き始める。映画美学校出身の三宅監督のまわりには、自主制作で映画を作る監督たちはがいたとはいえ、一回の上映会ではなく映画館での公開を、しかも配給会社や宣伝会社を通さず自力で実現させるのは簡単ではなかったはず。それが可能になった背景には、日本映画の上映現場に起きていた大きな変化がある。

「この2作品を作った2010年頃はちょうど映画館での上映環境がフィルム上映からDCP(Digital Cinema Package/映画専用のデジタル規格)上映に切り替わっていく過渡期で、上映に対するハードルが以前より徐々に下がってきていた時期でした。さらに僕より少し上の世代の監督たちがすでに自主制作した映画を自分たちの力だけで公開まで繋げていく活動をし始めていた。90年代から自主制作・自主上映の流れは続いてきていると思うんですが、僕が直近の先輩としてすごく影響を受けたのは、やはり空族の存在でした」

 

2010年代という時代の自由さ

「空族」は富田克也と相澤虎之助を中心にした映像制作集団で、"作りたい映画を勝手に作り、勝手に上映する”をモットーに、長期間をかけて制作した映画を自ら配給・宣伝している。基本的に作品のソフト化、配信を実施せず、さまざまな劇場で上映をし話題を作っていく彼らの活動は、『国道20号線』(2007)を機に徐々に話題となり、2011年に製作された『サウダーヂ』は、渋谷・ユーロスペースで公開されるとロングヒットを記録した。

「空族の上映活動は真のインディペンデントという感じで、僕も強烈な憧れを抱いていました。他にも、東京藝大の大学院の修了制作として作った『イエローキッド』(2009)を全国のミニシアターで上映した真利子哲也監督や、『SRサイタマノラッパー』(2009)を自主配給した入江悠監督など、自主公開の突破口を開いてくれた先輩方がすでにいたので、僕らは“映画ってどう配給したらいいんですか?”と一から相談に乗ってもらうことができた。空族の宣伝配給にも参加していた岩井秀世さんが、一緒に配給宣伝チームとして加わってくれたのは大きいですね。あとはやっぱり、2011年オープンのオーディトリウム渋谷という“同世代”の映画館が、リスクを背負って長期間の上映をしてくれたことです」

『Playback』は、まずオーディトリウム渋谷で封切られたあと、関西方面から九州まで、各地のミニシアターを巡業することに。ここでも、空族をはじめとする先輩たちにおおいに救われる。それぞれの劇場ではすでに彼らの作品の上映経験があったため、まだ無名の監督によるインディペンデントの作品に対しても受け入れ体制ができていたという。

「一台の車に乗り込んで、仲間とみんなで各地の映画館を回った経験は本当に大きなものでした。全国各地の映画館の大先輩にもお会いできたし、各地の同世代の映画上映者らとも出会えた。車で行ったのはたしか浜松、名古屋、京阪神、広島、福岡、大分ですね。あのときお世話になった映画館の人はもちろん、その街で音楽イベントをやっている人だとか、僕らみたいなよそ者を面白がって迎え入れてくれた服屋や喫茶店の方たち、そして自分たちの映画を見にきてくれた人たちの顔は強烈に覚えています。街の一部として映画がどう存在しているのか、たくさん学びました。今でも、あの街の人たちはどう見てくれるだろうとそれぞれの顔を思い浮かべたり、新しい映画が公開される時期になると、あそこでの公開はどうなるかな、人が入ってくれるといいけどなと気を揉んだりします。もう映画館がなくなってしまった地域もあるけれど」

 その後、三宅監督はドキュメンタリー『THE COCKPIT』(2014)、初の時代劇『密使と番人』(2017)を監督。それぞれ愛知芸術文化センターと時代劇専門チャンネルからの依頼を受けて作られた長編映画だが、公開に関しては『Playback』と同じ自主配給という形で行われた。そのため、長編作品のなかで『やくたたず』『Playback』『THE COCKPIT』、そしてYCAM(山口情報芸術センター)製作で作られやはり監督の自主配給で公開された『ワイルドツアー』(2018)の上映権は、いまもプロデューサーの松井さんもしくは岩井さんと共同で保持し、上映のオファーがあるたびお金のやり取りや上映素材の手配も全部自分たちで行っている。

 

批評行為としての上映活動

 2010年代半ばからは、監督たちによる自主配給の試みと並行し、自主上映活動にも新しい動きが目立ち始める。全国のミニシアターを拠点に、未公開作の上映や旧作の特集上映を企画する有志による運動が活気を帯びてきたのだ。

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

注目の特集

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの電子書籍

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する