関税交渉の本格化
――今回は、2025年4月以降のことを伺わせてください。この時期、いわゆるトランプ関税の交渉がついに本格化します。担当を赤澤亮正氏にした考えや経緯は前々回にかなり詳しく語っていただきました。官僚時代、アメリカ相手にタフな交渉を経験しており、能力、胆力共に高く評価していたということでしたね。
その通りです。
――その赤澤さんが最近、その交渉に関する本を上梓されました。『トランプ関税 交渉の記録』(グッドブックス)。これは読まれましたか。
まだ読了はしていません。赤澤さんから「たくさん買ってね」とは言われています(笑)。
――経緯を振り返ると、3月26日、トランプ大統領が会見で米国製以外のすべての自動車に25%の関税をかけると発表しました。さらに4月2日には、全世界を対象に追加関税を課すことを発表します。
これを受けて日本も対応を迫られます。石破総理はこの件について「極めて残念であり、不本意」とし「深刻な懸念」を表明しました。
赤澤氏の本では、石破総理が赤澤氏に交渉担当を任せると告げた時のことが次のように書かれています。
「石破総理は、この状況を『国難』とも呼ぶべき事態と宣言し、政府一体となって対応する決意を示した。そして、この『国難』に臨むにあたり、関係省庁の枠を超えて、自らの名代として米国との交渉を直接取り仕切る政治責任者の必要性を痛感していた。
私は、ひそかに総理と林芳正官房長官に呼ばれ、その役割を果たしてほしいとの指示があった。総理から半ば冗談めかして『骨は拾うから』という発言もあったが、私自身としてはまったく冗談ではなかった」
この「骨は拾うから」については、こんな風にも書いています。
「『君なら必ずできる』とか何かほかにもっとテンションが上がる言い方は無かったのか?』、『骨になるのが前提か?』などという切ない思いを抱えていた」
実際に、「骨は拾う」という言い方をしたのでしょうか。
しました(笑)。でもそれは当然、決死の覚悟、命をかけるくらいの覚悟で臨んでもらいたいという意味でした。
あなたに任せる以上は、必ず成功するだろうと思っている。しかし、万策尽き果てることもあるかもしれない。それでも安心して帰ってきてくれ、うまくいかなかったら責任は私が取るから、というつもりでした。その気持ちは通じていたでしょう。
――たしかに赤澤氏の回顧でも「骨は拾う」のくだりは、本気で「切ない」と思ったというよりは、面白エピソードというか、ネタ的なテイストで書かれていますね。
本格的な交渉の始まる前、4月7日に石破総理はトランプ大統領と電話会談を行い、「関税より投資」と主張しました。これはその後の交渉の基本線となります。
このロジックはどこから出てきたものですか。
それは経済産業省のスタッフの発案だったと思います。
前段としてあったのが日本製鉄によるUSスチールの買収をめぐる問題でした。バイデン政権の時に、いったんは結論が出てしまっていましたが、トランプ政権に代わったことを奇貨として、あの時、この買収は日米双方にとってプラスとなる投資なのだ、という論理をトランプ大統領に説明したのです。アメリカの労働力と日本の資本を組み合わせれば、アメリカの労働者にとってプラスであり、日本企業にとってもプラスになる。そして、USスチールについてはなんとか状況を好転させることができました。また、このロジックは関税交渉においてもそのまま応用できると思いました。
トランプ大統領の最大の関心事である、忘れられた人たち――たとえば鉄鋼や造船、自動車産業で職を失った人たち――に職を与えるのに貢献するためには、関税よりも日本からの投資を増やすことが優先されるべきでしょう。日本はアメリカに対する世界最大の投資国であり、雇用創出国です。イギリスと並んで、アメリカ人への給料を払っている国でもあります。大統領の公約は、対日貿易赤字の縮小ではないですよね、目的は関税を取ることでもありませんね、アメリカ国民に仕事を与え、アメリカを豊かにすることですよね、であるならば、投資のほうがいい、というストーリーです。
――それは外務省ではなく、経産省の仕事ということなのですか。
経産省、外務省、財務省を中心に、チームを組んでもらいました。この時は本当に三省がよく連携してくれました。団結、というのかな。本当にこんなにうまくいくものなのか、と思うほどでした。
――ここから赤澤氏はアメリカに足しげく通うことになり、結局10回交渉のために渡米することになりますが、報告や指示はどのようになされていたのでしょう。
それは「随時」ですね。報告は電話のこともあれば、実際に会ってのことももちろんありました。
「これからベッセントさんと会談です」といった電話がかかってきたり、「終わりました」と報告の電話がかかってきたり。
――電話なんですね。
赤澤さんもスピード感を大事にされる方なので。先に林芳正官房長官に報告をして、そのあとで私ということが多かったと思います。林さんは三井物産での勤務経験も、外務大臣の経験もあるので、この分野の見識も深い。だから林さんに報告して議論をしたうえで私に報告、という流れでした。
――「まず俺に言うのが先だろう」みたいな気持ちにはならなかったのでしょうか。
そういうことはありません。私のほうからも随時、気になったことを赤澤さんに聞いていましたから。
――気になったこと、というのは?
たとえばトランプ大統領が独裁といってもいい強大な権力を持っているのは紛れもない事実として、ではラトニック(商務長官)、ベッセント(財務長官)、グラス(駐日大使)との関係性はどうなっているのだろうか、といったことです。強いトップが存在している場合、往々にしてポリティカル・アポインティーのスタッフそれぞれが手柄争いのようなことをすることが多く、それは交渉にも影響するでしょうから、そのあたりの関係性には気をつけていました。