「皇太子は天皇になることを拒むか、即位するか、自分の人間的責任において選ばねばならない。かれはそのとき、日本人の運命そのものを選ぶのかもしれない」
最近の文章ではない。令和の日本には皇嗣は居ても皇太子はいない。書き手の兄は海軍飛行予科練習生を志願し、「いよいよ入隊ときまった日、見送りの村人に昂然と宣言した」。「お国のために死んできます」。弟は戦後十何年かを経て書く。兄たちの世代は「戦火にたおれていった」。対して「特攻隊員の弟たち」の「ぼくらは銃の前に立たされもしないし、自爆のために飛行機にのりこむこともしなかったが、ぼくらは《戦後》を戦ってきたというべきである」。《戦後》とは理想の民主主義に基づく平和国家としての日本を獲得するための戦いのときに他ならぬ。弟はそう主張したいのだろう。そのとき日本とはもはや天皇の国であってはなるまい。そういう思念に取り憑かれたのが「ぼくらの世代」。具体的には戦争末期に小学校高学年くらい。