- 中東の新しい地政学(1):シリア革命の余波、ロシアとイラン「抵抗の枢軸」の地政学的後退[上]
- 中東の新しい地政学(2):シリア革命の余波、ロシアとイラン「抵抗の枢軸」の地政学的後退[下]
- 中東の新しい地政学(3):「10月7日」以前に予見されていた未来/1948~2000
- 中東の新しい地政学(4):「10月7日」以前に予見されていた未来/2001~2023
- 中東の新しい地政学(5):「10月7日」以降の地政学的勝者
「10月7日」が開いた新たな中東の地政学的構図は、外から打ち破られる前に内側から軋み始めていた。これまでこの連続論考「中東の新しい地政学」では、2023年10月7日のハマースによる越境攻撃と、それを梃子にしたイスラエルの7正面作戦を、中東の地政学的構図、いわば「世界線」が切り替わる非連続的な転換点として新しい戦略環境を論じてきた。
イスラエルはガザ・西岸からレバノン、シリア、イランへと戦線を押し広げ、ハマースとヒズブッラーを著しく弱体化させた。その余波はシリアにおいてアサド政権の崩壊へと連鎖し、イランとロシアはこの戦略拠点から後退を余儀なくされた。短期的・作戦レベルではイスラエルが、長期的・戦略レベルではトルコと湾岸諸国、特にサウジアラビア、カタールがこの情勢不安から多くを得た――それが前稿(中東の新しい地政学(5):「10月7日」以降の地政学的勝者)までの結論であった。
しかし、そこで「勝者」に数えられた国々は、同じ戦後秩序を思い描いていたわけではない。イスラエルは軍事力によって脅威を前方で破壊し、支配領域と行動の自由を拡大しようとした。サウジアラビアは国家主権・正統政府・領土的一体性という原則を中心に地域の安定を回復し、自国の開発計画を守ろうとした。UAE(アラブ首長国連邦)は港湾、地方勢力、企業、情報・技術ネットワークを結び、国家の境界をまたぐ海洋的な影響圏を築こうとした。トルコはシリアを中心に、軍事力、防衛産業、人的ネットワークを地域秩序へと変換しようとした。勝者は複数いたが、「勝利」の意味は一つではなかった。
本稿では、米・イスラエルによる大規模なイラン攻撃が開始された2026年「2月28日」に次の世界線が開く直前までの過程を扱う。その中心はサウジアラビアである。なぜリヤードは、長らく地域秩序を共同で模索してきたUAEとの関係を後退させ、パキスタンとトルコに接近したのか? 2026年8月7日、サウジアラビア、トルコ、パキスタンは「マッカ共同防衛協定」に署名したが、この協定は突如として現れたものではない。本稿では、その構成要素が「2月28日」以前にどのように出そろったのかを辿る。
結論を先取りすれば、リヤードが選んだのは、ワシントンを捨てて別の庇護者に乗り換えることではなかった。米国との関係を維持しながら、同国だけでは足りない局面に備えて複数の軍事的保証と能力を重ねる「保険」の狙いがあった。そして、すでに進んでいたこれらの動きに新たな安全保障上の意味を与え、保険の構築を急がせたのが、2025年6月のイスラエル・イラン・アメリカによる「12日間戦争」である。