政治

ロシアが進める「人材供給システムの集権化」――有力テクノクラートを生む国家によるキャリア管理の現在

2024年8月5日

5期目に入ったプーチン政権の顔触れを見ると、従来大統領の脇を固めてきた「シロヴィキ」と呼ばれる治安機関出身者に加え、「テクノクラート」の重用が目立つ。象徴的なのが国防相に就任したベロウーソフと、その後任として第1副首相に就いたマーントゥロフだ。マーントゥロフは大統領附属の国家官僚養成システム「大統領アカデミー」を修了している。集権化されたシステムによって供給されるテクノクラートが戦時下でシロヴィキと「融合」し、相互補完的に機能する限り、プーチン政権の安定性は確保される。

 2024年5月から7月にかけて、プーチン外交が攻勢を強めている。ロシア・ウクライナ戦争下、第三国制裁の導入など対露経済制裁が一層厳しさを増す中、ロシア外交の新たな潮流を形作ってきた国家官僚のグループ、とくに「テクノクラート」と呼ばれる技術系官僚らの動きが注目を集めている。

 5月14日にロシア新内閣が発足すると、直後にウラジーミル・プーチン大統領は北京に飛び、16日には中露首脳会談に臨んで、習近平国家主席と共に共同声明を含む11の合意文書に署名した。6月19日には北朝鮮の平壌を訪問し、有事における相互支援を定めた包括的戦略パートナーシップ「条約」に署名。その足でベトナムのハノイを訪問し、共同声明を含む15の文書に署名した。さらに7月8日から9日にかけて、インドのナレンドラ・モディ首相をモスクワで迎え、「2030年までの露印経済協力の戦略的活動の発展」について共同声明を発出した。

 一連のプーチン外交は、ロシア・ウクライナ戦争下、対米欧関係の改善は見込めず、むしろ第三国への制裁強化の動きも見られる中、通商関係の新機軸を構築し、ロシアの継戦能力を維持・強化する狙いがある。こうしたプーチン外交の土台を作ってきたのが、新内閣で重用されている「テクノクラート」(技術官僚)である。

経済への国家介入を進めたベロウーソフ、軍需産業政策の中核にいるマーントゥロフ

 その一人が新たに国防相に就任したアンドレイ・ベロウーソフ前第1副首相である。彼は1959年3月17日、著名な経済学者レム・ベロウーソフの家に生まれた。1981年にモスクワ国立大学経済学部を卒業し、86年にはソ連科学アカデミー経済学・科学技術進歩予測研究所(後のロシア科学アカデミー国民経済予測研究所)の研究室員、主任研究官などを務め、1988年に経済学博士候補(諸外国のPh.D.に相当)を取得した。ソ連解体の年である1991年から2006年まで研究室長を務める傍ら、政策当局に接近し、エフゲーニー・プリマコーフやセルゲイ・ステパーシンなどボリス・エリツィン政権の主要閣僚から知遇を得た。2000年代のプーチン政権下でもミハイル・カシヤーノフやミハイル・フラトコーフの「定員外の顧問」として、連邦政府中枢に接近した。

 学界と政策当局を結ぶベロウーソフの努力が実ったのは、彼が47歳の誕生日を迎える直前であった。2006年2月8日、ベロウーソフはゲルマン・グレフ経済発展・通商大臣の推薦で、次官の一人に抜擢されたのである。国家の積極的な介入を主張するベロウーソフは、金融政策を巡り、アレクセイ・クドリン財務相などと激しく対立した。ドミートリ・メドヴェージェフが大統領に就き、プーチンが首相であったタンデム政権期の2008年から2012年までは、プーチンの下で連邦政府の内部部局である経済・財政局長を務め、2012年にプーチンが大統領に復帰すると、経済発展相、大統領補佐官を務めるなど、プーチンとの個人的な関係は極めて強いものと推察される。……

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