離島の医師として生きるということ
父・升田鉄三の「島内完結型医療」にかける思いを引き継ぎ、オンラインでの妊婦健診・診察やがん診察体制の整備など、離島とは思えない高水準の医療体制を構築してきた晃生。その離島の医師としての日常とは、どんなものなのだろうか。
聞けば、船泊診療所の外来患者は日に50~80人ほどで、一切、事前予約は受け付けていないと言う。その理由は、
「島ではすべてが天候次第だからです。漁業の島なので、凪ぎの日には漁師やその家族は仕事があるため患者は極端に少なく、荒天となれば患者数が増える傾向にあります。また、冬の猛吹雪では島内の道路が通行止めになるため、臨時休診とすることもあります」
休日には体育館で体を動かしたり、釣りを楽しむこともある晃生だが、竿を投げた瞬間に急患で呼び出しがかかることもある。
「だからあまり遠くへは行かず、必ず電波が届く場所でいつ何があってもすぐに診療所へ駆けつけられるようにしています」
この島で医師として生きるとは、つまりそういうことなのだ。そして、患者の疾患や症状は離島ならではのものも多く、対応の幅が求められる。例えば、
「島には後期高齢者でも現役バリバリの漁師さんが大勢いて、体力・気力に満ち溢れ、さながらアスリートといった感じです。ただその分、整形外科でいうところの慢性変性疾患が多いですね。例えば、ウニ漁の漁師さんは磯船のへりに身を乗り出し、ガラス箱をかぶって水中を覗き込みながら専用漁具で海底のウニを獲るのですが、この姿勢での作業は全関節に大きな負荷がかかります。漁師に限らずですが、関節や腱を傷めてしまった人は本土の専門病院に紹介し、手術適応の可否を検討してもらったり、術後は島で創処置やリハビリテーションを請け負うこともあります」
その他、観光シーズンになるとトレッキング中の怪我や持病の悪化で運ばれてくる患者が増える。また、海産物を摂取する機会の多い土地柄、アニサキス症や胃腸炎など腹痛を訴えて駆け込んでくる人もしばしばいるそうだ。
患者の人生そのものと向き合う
日々、診療所を訪れる島民たちと接し、幅広い症例や疾患に対応する中で、患者の人生の哲学に触れる機会も多いという。特に晃生の記憶に深く刻まれているのが80代後半の漁師だ。
「私は彼を肺がんと診断し、手術も可能な状態だったため急いで大学病院に紹介状を書きました。が、彼は手術を受けずに島へ戻ってきました。どうしてかを問うと『漁ができないなら死んだも同然。俺は自然に抗わず、力尽きるまで漁を続けて島で生きたいんだ』と言うんです。そして、彼はその言葉通り、亡くなる数日前まで海に出て漁を続けて、最後は診療所で息を引き取りました」
数年前、4歳の幼児が海で溺れ、心肺停止状態で運ばれてきた一件も忘れ難い。晃生はその場ですぐに処置を行い、蘇生したが、肺や脳への影響が懸念されたため、大学病院へ搬送した。集中治療の末、一命をとりとめたその患者は後遺症もなく、今、島の小学校に元気に通っているという。
「その姿を見ていると、あの時、彼を救うことができて本当に良かったとしみじみ思いますし、これから先も彼の成長を見守っていけることが嬉しくて仕方ありません。診察や治療が終われば患者との関係が絶たれる都市部の病院と違って、患者の生活の営みや哲学に触れ、患者の人生そのものと関わり続けていけること、それが離島医療の醍醐味だと思っています」
当然、同じ患者と長く向き合うことで得られる学びも経験値も非常に大きい。
「ここで医師を続けていると、ガイドラインに則った治療方針が全ての人に等しく当てはまるわけではないことがよくわかります。一人ひとりの生活の背景や価値観、その人にまつわるすべてが体の状態や病状に様々な影響を及ぼしているので、臨床医にとってそれらを総合的に評価し治療方針などを微調整するのが腕の見せ所です。島という限られた環境では、時間をかけてじっくりと最適なゴールを目指すことができます」
晃生はこうした離島医療の現場を後進育成の場とし、広く門戸を開いている。毎年、多くの医学生や研修医が地域医療研修として島を訪れている他、中高校生を対象とした職場体験実習も受け入れている。中には看護大学に進学し、「将来は礼文島で看護師として働きたい」と言ってくれている学生もいるとか。
10年後、20年後の離島医療
とはいえ、限られた人材が担う離島医療の現実はやはり厳しい。実際に時折、「もしあなたが倒れたら、途端に島の医療体制は成り立たなくなるのではないか」と言われることがあるそうだが、
「これについては、その通りですと答える他ない」
と晃生は言う。現在、父・鉄三も嘱託医として診療を続けているが、持病を抱え2カ月に1回、専門病院に通院している。以前、体調が悪化し1年間の休職を余儀なくされた時には、晃生がほぼ一人で全ての患者に対応しなければならず、心身のストレスが大きかったという。
「島での厳しい状況を想定してトレーニングを積んできたつもりだったのですが、まだまだ至らぬところが多くあることを痛感しました。今、父の体調はその頃よりは持ち直していますが、僕と父の二人体制も永遠に続くわけではありません。僕自身も健康でないと仕事ができなくなるので、日々の健康管理には細心の注意を払っています。また、学会活動や出張などで留守にする時は個人的な繋がりで連携している医療機関や医師に診療サポートを依頼しています」
ただ、それは「あるべき医療の姿」ではない、と晃生は言う。本来であれば、本土の中核病院や大学病院が中心となって離島の診療所に医師をローテーションする仕組みが確立されるのが理想的だが、昨今の医局員の減少や診療科の偏在、就労時間制限や地方都市の人口減少など、多くの要因が絡み合い未だ実現困難な状況にある。
「島の医療の永続性について問われることがありますが、一人の医師にとっては10年後、20年後の島の医療体制がどうなっているかより、今この瞬間に目の前にいる患者さんに最善を尽くすことを第一とするしかありません。父もおそらく同じだったと思います。その時代を任された人が、その時代のテクノロジーを活かして命や健康を守るため最大限の努力をすれば良いと思います。僕の医師人生は、与えられた職務を全うするのみです」