<span>パソコンだけではローマ史は書けない――塩野七生の「仕事術」</span>
撮影 新潮社写真部

 15年の歳月をかけ、古代ローマの波乱に富んだ歴史を書き上げた塩野七生さん。原稿を書くのは午前中の5時間だけと決めていたそう。長期にわたって一つのプロジェクトに取り組む、その仕事術を聞いた。 (初出:『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』2007年5月刊)

ローマだからこそ書けた


――全体の話を教えてください。『ローマ人の物語』は、いつどういうふうに構想されたんでしょうか?

塩野 いつ書き始めようと決めていたなんて、明確なものはないんです。ただ、いずれ書こうと考えていたのは確かで、それは遡れば30年も昔になりますね。

――では15年前、ついに始められた時は、時が満ちたというような感じでしょうか。

塩野 そうですね、それまでも勉強は続けていたのです。でも歳月が重なってくると、心苦しくなりましてね。これはもう書いた方がいいと、思った。かといって、勉強はそこで終ったわけではなく、むしろ始まり。今度は実際に書くための勉強ですから、ずっと細部にわたる。そうやって15年続けて……、だから今、疲れちゃっています。

――ローマに住んでいたからこそ15巻書けた、ともよく言っておられました。

塩野 まとまったものを書く環境を作るということ自体がとても難しいのです。もし毎月、別のテーマについて何本も書かなくてはいけなかったとすると、ローマ人に神経が集中出来なかったでしょう。集中と言っても、勉強や執筆に集中する時間だけを意味しない。何もしないでも、そのことについて考えている時間を持てるかが重要なんです。私は、午前中の5時間はローマ史に捧げたけれど、それ以外の時間も、他に考えなければいけないことがある状態ではなかったのです。だから何か雑用しながらも、ちょっとアイディアが浮かぶと、それも書いた付箋を貼り付けておく。その付箋の90パーセントは役に立たないのですが、少なくともいつでもローマ関係のことが頭に浮かんでくるという余裕が大事でした。

――『ローマ人の物語』にフルに使えたわけですね。

塩野 そう。他の仕事は何にもないから。午後はそれこそアルマーニヘ行って、必要でもない服を買ったりなんかする日がある。そんなことをやっていても、尚かつ何かひらめいてくる。くり返して言いますが、勉強のための集中なら誰でも出来るんです。他に職を持っていても、5時間くらいの時間を作るのは誰でも出来ます。反対に、精神的に一つの仕事だけに集中するという環境を作るのは、なかなかむずかしい。別の仕事があったら、絶対ダメなんです。

――仕事はどういう予定で進んでいたのですか?

塩野 執筆の時間は、全部で4ヵ月くらいでしたね。それ以外の時期は、勉強をしている。どちらも午前中の5時間だけです。だってこの部屋には、スタンドがないでしょう。夜は何もしないってことです(笑)。

――午後は自由な時間ですか?

塩野 まあ、いろいろなことをやっていたのですが、ローマ史に直接に関係する勉強はしなければ、執筆もしない。これだけは、はっきりしていました。散歩に出掛けることもあります。外を歩いていると、例えばアウグストゥスの皇帝廟の前を通るじゃないですか。つい、「そのうち書きますからね」とか呟いたり、そういうわけで、知らず知らずとはいえ、いつも考えていました。

――それがローマの最大の効用。

塩野 テヴェレ川を渡って、お酢を買いに行ったりします。するとね、西日が射している。ああ、西日は2000年昔から変わってないわねと思うわけ。ローマってね、7つの顔があると言われています。時代ごとに幾層にもなってるわけです。例えば今のローマは、1527年の「ローマ略奪」による徹底した破壊の後に再建されたものですから、バロック様式が多い。でも私は頭の中で、ローマのそれぞれの場所を、それこそコンピューターグラフィックス的に時代別に替えることができるようになりました。

――そういうことが執筆の助けになるわけですね。

塩野 観光客がごった返すパンテオンのそばをよく歩きます。それこそフランス語も聞える、ドイツ語もロシア語も英語も、日本語も聞えるし、という場所です。でも私が書いているのは、古代のローマ時代。そうなると、あそこの群衆の中を歩きながら、日本人やらアメリカ人やらの観光客が、私の目にはスッと古代ローマに生きていた人たちに変わって見える。でも、古代ローマはそれこそコスモポリタンな都市でしたから、当時だってローマ人以外の人もたくさんいたのです。ギリシア人もいれば、ガリア人もいれば、ブリタニアもいれば、アフリカもいれば、オリエントもいる。

――今と、実はそんなに変わらない。

塩野 そう、たいして変わらない。ただその内実だけがちょっと変わっているだけ。だからこれは、想像力の問題でもあるんですよ。

――『ローマ人の物語』の魅力は、ローマ人の細かな感情の揺れ動きや、そこに吹いていた風の匂いまで伝わってくることにもあるかと思いますが、その秘密が少しわかりました。

塩野 ローマ史を書くということならば、私は新しいことをしたわけではない。では昔の歴史家と違うことは何かと言ったら、私が地中海ばっかり見ていたことでしょう。お金のなかった時にヨットのヒッチハイクなんかやって、地中海の全域を周っていたのです。だから、地中海ってどういうものだろうといつも考えていたわけ。海ってね、ある意味で繋ぐものですよ。それなのに現代は、海の向こう側とこちら側は何で全然違うのかしらという意識。始まりはそれでした。

――フィールドワークをされていたのですね。

塩野 そうです。昔、福田恆存さんが私に、翻訳というのは意味を伝えるだけじゃなくて、元本を書いた人の肉体生理も伝えることだと教えてくれたことがありました。私もこの本で、ローマ人の肉体生理までも伝えたかった。肉体生理を伝えるには、自分自身で感じないとダメなんです。意味を伝えるだけなら簡単ですよ。箇条書きにすればいい。意味ならば要約も可能です。しかし、肉体生理を伝えるということは、要約不可能なのです。『ローマ人の物語』というのは、ローマ人の肉体生理まで伝えようとしたから、長くなっちゃったのね。

――全15巻の中身について、細かな構想はあったのでしょうか。

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