高市早苗首相が「トランプ大統領に似てきた」と、指摘する報道が増えている。どちらも野党と同席する議会や、批判的なメディアも来る記者会見が嫌いで、消極的。だが一方的に言い放題できるSNSでは饒舌になり、ヨイショする大量のアカウントに囲まれて、堰を切ったように発信し続ける。
もともとパーソナリティが似ている面もあれば、戦略的にトランプ流を採り入れた点もあるだろう。だがそれ以上に重要なのは、なぜそんな政治家ほど熱心な支持者がつく社会が生まれたか。そうした構造を問うことだ。
トランプはもともと「傲慢なお金持ち」のキャラで売り出した人で、TVタレントの頃から “You’re Fired” (お前はクビだ)が決めゼリフだった。そんな人に、貧しいラストベルトの苦しみなんてわかるのだろうかと、ふつうは思ってしまうものだが、しかし現に熱烈なファンがいる。
そんな人たちもおそらく、トランプが自分に本気で「寄り添ってくれる」と思ってはいまい。むしろ「自分に代わって」トランプという暴君に、気に入らない相手を全否定する姿を演じてほしい。立場が弱く、ふだんノーとは言えない自分も、それなら溜飲が下がり周囲を殴ってやった気になる。
そうしたニヒリスティックな自己投影が、高市首相を推す日本人にも働いているのを見てとるのは難しくない。なぜ国会の集中審議には出たがらず、ジュエリードレッサーの授賞式には飛んでいく政治家に、呆れや怒りでなく好感を持つのか。「自分もそうしたいのに、できない」欲求不満を、彼女が代わりに晴らしているからだ。
高市=トランプに共通するのは、嫌なことは徹底して忌避し、やりたいことには手段を選ばない、ある種の「子どもっぽさ」だろう。そんな人ほど魅力的に見えてしまう、おかしな時代が始まったのもまた、前編で時代の画期として触れた2016年のことだった。