「どこかが普通じゃない」――18歳で谷崎と初対面
私が初めて谷崎潤一郎先生とお会いしたのは戦後の混乱がまだ色濃かった昭和20年代、18歳の時に、川端康成先生原作の映画『舞姫』で女優としてデビューする直前のことでした。亡き父(註・サイレント映画俳優として人気を博した岡田時彦氏)と縁の深かった谷崎先生が私の芸名をつけてくださるというので、映画のプロデューサーに連れられて熱海のご自宅に伺ったんです。
時は7月頃だったか、梅雨の合間の晴れわたった日で、私は白の半袖のブラウスに紅いコールテンのスカートという格好でした。今のような凄まじい暑さではなかったけれど、熱海の山の斜面に沿った長い石段を登り切った時にはさすがに少し汗ばんでいました。
通されたのは、庭先から遠く海が見える和室でした。まもなく和装の谷崎先生が入って来られ、お互いに挨拶をした後、谷崎先生が私をじっと見つめられたので、私は思わず半袖のブラウスから出ている両腕を隠すように抱いてしまったのですが、その瞬間、谷崎先生は「お父さんの腕と、よく似ている」と言われたんです。普通、そういうことをおっしゃるなら「お顔が似ている」とか「面影がある」とか「目が似ている」などでしょうが、思わぬ「腕が似ている」という言には驚きました。小説家の観察力はたしかに普通の人とは違うんだな、そう思いました。もしかしたら、俳優だった父の演技の時の動きとか、ふとした仕草なども含めて思い出してくださったのかもしれませんね。
「私はかつて、あなたのお父さんに『岡田時彦』という芸名を付けた。そのお嬢さんであるあなたの芸名も喜んで付けてあげましょう」
谷崎先生はそう言いながらテーブルの上の白紙に毛筆で「岡田」と書きました。そして
「名はあなたの本名の鞠子と読みを同じにして字だけ変えよう」
と、いくつか「マリコ」と読める漢字を書いてくださいました。私はその中から迷わず「茉莉子」を選びました。初めて見た漢字でしたが、どこかエキゾチックで神秘的に感じられたからです。
その時、
「『茉莉(ジャスミン)』は南方に咲く、高貴な香りのする白い花のことです」
と、谷崎先生が教えてくださいました。こうして、父と同様に谷崎先生に祝福されながら、女優「岡田茉莉子」が誕生したのです。もう70年以上前のことですが、その日の谷崎先生とのやり取りは昨日のことのようにはっきりと覚えています。谷崎先生のあのお姿、一見すると優しくて物腰柔らかな普通のおじさんといった印象なのに、どこかが普通じゃない不思議な存在感。柔らかそうに見えて同時に鋭くもある眼差し。長い女優人生の中で数多くの映画監督や作家の方たちとお会いしてきましたが、谷崎先生のような人は唯一無二でした。
谷崎に見出され映画スターとなった父・岡田時彦
「茉莉子」と命名していただいた後、ご自宅も離れていましたし、世間話をする間柄でもなかったので、谷崎先生にお目にかかる機会はごくたまにといった感じでした。ただ、父との深いご縁を考えるとあまり疎遠になってもいけませんから、折に触れて連絡を取り合っていました。