<span>「楽しい日本」「“神に選ばれた”トランプ大統領との極秘電話」「赤沢さんに任せた日米関税交渉」の裏側 石破茂前首相が明かす施政方針演説から日米首脳会談まで</span>
施政方針演説する石破茂氏

石破茂氏の首相在任時代を振り返る連続インタビュー、3回目では2025年1~2月の話題を中心に語ってもらった。「楽しい日本」というフレーズが注目された施政方針演説、そして実現した日米首脳会談……。終盤には、消費減税まっしぐらの現状への強い懸念を口にしている。その真意とは――。

施政方針演説の「楽しい日本」に込めた意味

――今回は2025年1~2月の出来事を中心に伺います。1月20日、ドナルド・トランプ氏が大統領に就任します。これにあたってどのような準備をしたのかは、以前も伺いましたが、いよいよということで何かしたことはあるのでしょうか。

 トランプさん関連の本は読みましたね。自伝も含めて。

――暴露本みたいなものもありましたね。

 そういうものは読まなかった。読んでも仕方がないですから。知っておきたかったのは、彼の立場からのものの見方です。バイデン氏に大統領選で敗れた後、何をどう語ってきたのか、といったことですね。系統立てて読むということはありませんでしたが、トランプ氏ならどう考えるのか、そういう観点に重きを置いて情報を集めるよう心がけました。
 
――いつ日米首脳会談が行われるのか、ということも関心の的になっていました。なかなか決まらないので、軽く見られているのではないかとか、(前年11月に行われた初の)電話会談が5分くらいだったので、やっぱり相手にされてないとか、批判されていました。実際、どのように考えていたのでしょうか。

 大統領就任前に会おうか、といった話は向こうからあったんです。なので、こちらから一所懸命アプローチして相手にされなかった、とかいうことは一切ありませんでした。

 実現しなかったのは、単純に日程調整の問題もありましたし、お目にかかるならば就任後だと私が考えていたこともありました。正式にアメリカ合衆国大統領になられてからだと。

――前回のトランプ氏の当選時には安倍晋三元首相が真っ先に会いに行ったことが話題になりました。あれで関係が深まったとよく言われます。それに倣おうとは思わなかったんでしょうか。

 安倍さんの時は、ヒラリー氏が大統領になるとの見方が日本国内でも強く、そちらにアプローチしてしまっていたので、トランプ氏に決まって、そのマイナスを打ち消すためにもいち早く駆け付けなければならなかった、という背景があったと思います。ですから今回は、早く会うこと自体に大きな意味はないと考えました。

――結局、日米首脳会談は2月になるのでその話はあとで伺うとして、いったん内政の話に移ります。1月24日には施政方針演説を行いました。素朴な疑問ですが、ああいうものは自分で書くのでしょうか。

 いや、自分で書くわけではないですね。

――あ、そういうことは言っていいものなんですね。

 行政府の長として、そのタイミングで盛り込まなければ手続きを進められないような事項などもありますから、自分の気持ちだけで書けるわけではないんです。私には超がつくほど優秀で、かつ人柄もいい秘書官たちが付いてくれていましたから、彼らが叡智を集めて書いてくれるものには一定以上の信頼を置いていました。それにもちろん自分で目を通して赤字は入れますよ。だから完璧といえば完璧なのですが、感動を呼ぶようなものにはならないなと思いました。

――この演説で一番注目されたのは、「楽しい日本」という部分でしたね。引用すると以下のような文章でした。

「故・堺屋太一先生の著書によれば、我が国は、明治維新の中央集権国家体制において『強い日本』を目指し、戦後の復興や高度経済成長の下で『豊かな日本』を目指しました。そして、これからは『楽しい日本』を目指すべきだと述べられています。
 私もこの考え方に共感するところであり、かつて国家が主導した『強い日本』、企業が主導した『豊かな日本』、加えてこれからは一人一人が主導する『楽しい日本』を目指していきたいと考えます。」

 この部分は秘書官ではなく、ご自身の文章なのではないですか。

 そうです。堺屋太一さんとはいろいろな思い出があります。最初にその存在を知ったのは、オイルショックをテーマにした『油断!』(注・堺屋氏が通産官僚時代に書いたデビュー作となる小説。1975年発表)が話題になった頃でしょうか。もちろんその頃は面識はありません。

 その後、民間人として経済企画庁長官になった頃(1998年)には私も議員になっていて、実際にお目にかかってお話を伺う機会がありました。実に只者ならざる人物という印象で、斬新かつ広い視野をお持ちの方でした。そこから断続的にお付き合いさせて頂いておりました。

 堺屋さんが亡くなられてすぐ後に、『三度目の日本 幕末、敗戦、平成を越えて』という本が出版されて、そこに出てくるのが「楽しい日本」という言葉でした。この言葉、最初は強い違和感があったんです。何だ?「楽しい日本」って? と。

 でも何度も読むうちに、本当にそうだ、と思うようになりました。明治維新以降、昭和20年の敗戦まで日本は国家として「強い日本」を目指してきた。しかし敗戦でもうこりごりだ、となって、経済的に「豊かな日本」を目指すようになった。しかしその路線もバブル崩壊後、迷走していく。

 時代が変わるとともに価値観も変わる。では豊かさの次は何か。あの堺屋さんが考えに考え抜いて出てきた言葉が「楽しい日本」だったわけです。英語で言うところのウェル・ビーイングに近い概念です。

「強い日本」は国家が主導するもの、「豊かな日本」は企業が主導するもの。では「楽しい日本」はといえば、それは国民一人一人が作っていくものです。個人としての国民、あるいは地方が主役となって作る。今はそういう時代の大きな転換点である、という考えを演説に込めたのです。

――その説明を聞くと演説に込めた思いはよくわかりますが、当時の受け止め方は必ずしも肯定的ではなかったように思います。ちょっとバカにするような意見もありました。これは心外だったのではないですか。

 先ほどお話ししたように、私自身、最初に「楽しい日本」というフレーズを読んだ際に「なんだこれは」と思ったくらいですから、ネガティヴな反応は想定していました。

 ただ一方で、ではこれからの時代に何を目指すのか、国民一人一人が主役となるような国を目指さなくてどうするのか、という気持ちが強くあったのです。これは地方創生とも直結するものです。

 これを誰かが言わなければならない。そして言うのならば総理として自分が施政方針演説の中で語るべきだと考えたのです。

――そういう説明は番記者の方たちにはしなかったのでしょうか。丁寧に話せば、そういうことかと共感してもらえそうな気もしますが。

 説明はもちろんしましたよ。でも、番記者さんにも限界があって、基本的に政権をあまり褒めるようなことはできない。本来は論説委員や解説委員みたいな方々が、深掘りして記事にして下さることを期待して、彼らに説明もしましたが、まあ、書いてもらったとしても私への批判は主にネットの方々からでしたからね。そこは交わらなかったんじゃないでしょうか。

――ちょっと気になるのは「楽しさ」という価値観に国家が踏み込むのはいいのだろうか、という点です。そのあたりはいかがでしょう。

 国家主導の「楽しさ」だったらそれはダメでしょう。でも、私が言いたかったのは、一人ひとりの多様な「楽しさ」を追求できる環境を国がつくる、ということです。国家主導の「強さ」でも、経済界主導の「豊かさ」でもなく、あくまでも「国民一人一人が主導する」という点が大切なのです。国家が強制する「楽しさ」なんて、もはや楽しくないですから。

――その部分が石破総理の独自色だとして、あとは秘書官の意見も大いに取り入れたということですか。

 意見というより、行政府の長としてその時宜に適ったものを入れなければならないことも多いんです。歴代総理の施政方針演説というのは大体そういうものです。記憶では小泉純一郎元総理はかなり独自色が強かったかなとは思いますが。

 時間的な制約もありますし、「一切誰の言うことも聞かない、好きに書く」で作ったら、演説自体の意味がなくなってしまいます。

――そうはいっても、人口減少への強い危機感、地方創生への思いといったあたりにはご自身の考えがかなり出ていたように思えます。

 それは当然、秘書官たちも私の考えを汲んで作ってくれるわけですから。

――相変わらずというべきか、そのへんはあまり真剣に受け止められなかったですね。

 でも最近、やっぱり人口減少が日本の最大の問題だという意識は強まっているのではないでしょうか。講演会で「あと80年もすれば日本人が5000万人くらいになるんですよ」と話すと「初めてそんな話聞きました」という反応がいまだにあります。

――人口減少に歯止めをかけないと国家存亡の危機となる、というのが長年の持論であり問題意識ですよね。でもこの時期の新聞の論調を見ても、「そんなことより直近の経済政策だ」みたいなものが目立ちます。

 そういうことを言っているから国が変わらないのだ、と思います。大新聞の場合は批判が先にありきなのもどうなんでしょうか。

――当時の新聞には「日米関係の強化というが、具体策がない」という批判もありました。しかし過去の施政方針演説を見ても、そんな具体策を述べているものはないように思うのですが。

 ほんとうに。最初から気に入らない、批判してやろう、と思っていれば、なんでも書けますよね。

――そういうお話を伺うと、演説していて虚しくならないのかな、ということが気になってきました。

 施政方針演説というのは、それを受けていろいろな政策を前に進めるという意味があるので、一種の儀式に近い面がありますから、そういうものだと思って特に虚しいとかはなかったですね。ただ、人を感動させるものにはどうしてもならないな、とは思いました。

 だから、その後の広島、長崎の平和式典での演説や、戦後80年の談話などは、かなり自分自身の言葉を入れたいと思ったのです。

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