問われていないのは「損得」
AIをめぐる議論を眺めていると、ひとつ気になることがある。
語られているのは、たいてい二種類のことだ。ひとつは、できるかできないか。どこまで賢くなったか、何ができるようになったか、人間を超えたか。もうひとつは、善いか悪いか。仕事を奪うのか、判断を委ねてよいのか、誰が責任を負うのか。
性能と倫理。この二つで、議論のほとんどが埋まっている。
抜け落ちているのは、三つ目だ。損得である。
これは素朴な問いのようでいて、答えられる人がほとんどいない。AIを導入した企業の担当者に聞いても、削れたコストと増えた売上を指し示せる人は少ない。稟議で効果を問われて言葉に詰まる。便利なのは間違いないのに、その便利さが経営や収益のどこに表れているのかを言えない。
この連載では、そういう実利を扱う。きれいな話や大きな話はよそでいくらでも読める。ここで書きたいのは、誰のどんな悩みに、いくらの値段がつくのか、という話だ。その第一歩として、まず「損得」から入りたい。
なぜ損得から入るのか。損得を語れないというのは、感覚の問題ではなく、技術の問題だからである。値づけという技術を持たない者は、損得を語れない。語らないのではなく、語る道具を持っていない。そして道具を持たないまま新しい技術を迎えると、何が起きるか——私はそれを、繰り返し見てきた。