社会の分断が露わになった4年間
「転移中のガンだ」。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、パレスチナのヨルダン川西岸地区で暴力行為を続ける入植者について、こう表現し批判したとされる。ただ、その「ガン」を4年にわたり、政権維持のための連立パートナーに据え続けてきた張本人がネタニヤフ首相だ。
与野党の均衡により政権が安定しなかったイスラエルでは、今年7月、約40年ぶりに議会が4年間の任期を全うし、10月27日に総選挙を迎える。ハマス攻撃やイランとの武力衝突など、かつてない波乱の4年間だったが、この間に宗教極右勢力が大きな権力を手にしたことで、イスラエルは今、国家としてアイデンディティ・クライシスに陥っている。
イスラエルは建国以来、「中東唯一の民主主義」を標榜し、歴史的な繋がりもあり、自らを西側諸国に位置付ける形で、アメリカや欧州との関係を重視してきた。その一方で、国家を宗教的な意味合いでとらえる勢力が建国当初から存在してきたことも事実だ。戒律を遵守する「ユダヤ教超正統派」に加え、宗教シオニズムという思想に基づき、宗教的な国家運営すら訴える原理主義的勢力、いわば「宗教極右」がいる。
宗教シオニズムは、イスラエル建国に繋がった社会主義的な労働シオニズムや、ゼエブ・ジャボティンスキーが提唱し今の与党リクードにも引き継がれる民族主義と軍事力を重視する「修正主義シオニズム」とも異なり、イスラエルの国家建設自体を神の意思とみなす考え方だ。
2022年末に発足した第6次ネタニヤフ政権は、イスラエルでは「完全右派政権」と呼ばれる。首相が党首を務める強硬右派リクード、宗教シオニズムを信奉する宗教極右、そして超正統派政党のみで構成され、バランサーの役割をする政党が入らなかった。そして、これが社会の分断を深めた。2023年1月には最高裁判所の権限を弱める司法制度改革案を発表。民主主義の後退に危機感を覚えた市民らが、全土で反対デモを展開した。しかし、ネタニヤフ政権で閣僚を担った極右政治家たちは、あろうことかカウンターデモを呼びかけ、建国以来理想としてきた民主主義を守ろうとするリベラル勢力と、それを真っ向から否定する勢力がエルサレムで衝突。イスラエルが持つ2つのアイデンティティがエルサレムの中心部で衝突する光景は、まさに内戦前夜のようだった。
ユダヤ人政策研究所(Jewish People Policy Institute)のシニアフェロー、シュロモ・フィッシャー氏は、「イスラエルでは(リベラルな)旧エリート層が社会経済システムや社会文化システムを掌握する一方、より伝統的で宗教的な層が政治システムを握っていました。ところが2023年1月以降、政治システムを掌握していた側が他のシステム全般をも掌握しようとし、これに対してもう一方の勢力が激しく抵抗したのです」と述べ、第6次ネタニヤフ政権の誕生によって旧来の均衡が崩れてしまったと指摘する。
J・D・バンスを怒らせた2人の極右閣僚
完全右派政権を象徴する存在が、イタマール・ベングビール国家治安相とベツァレル・スモトリッチ財務相だ。彼らのガザ地区への軍事攻撃をめぐる過激な発言、パレスチナ人に対する非人道的な対応は、国際社会からの大きな批判を招いたのみならず、アメリカとの紐帯すらも揺さぶりかねない。
今年6月、アメリカとイランが60日間の停戦延長の合意を結ぶと、ベングビール氏は、「イスラエルは米国に従属する国家ではなく、独立した主権国家だ。我々はこの合意の当事者ではなく、この合意はイスラエルの安全保障を守るものでもない。わが戦士たちが占領したいかなる領土からも撤退すべきではない」とその内容を糾弾。スモトリッチ氏も、「イスラエルにとっても、自由世界全体にとっても悪だ。以上」と合意を真っ向から批判した。
これに怒りを隠せなかったのが、アメリカのJ・D・バンス副大統領だ。6月18日の会見で、「ビビ(ネタニヤフ首相のニックネーム)の内閣で、この合意を批判し、ある意味でアメリカ大統領を個人攻撃するような発言をする人々が出てきている。ドナルド・J・トランプは今この瞬間、世界で唯一イスラエルに同情的な国家元首であり、しかも、その人物が世界の超大国のトップだということだ。もし私がイスラエル政府の閣僚だったなら、世界中で唯一残った強力な同盟国を攻撃するようなことはしないだろう」と2人の閣僚を念頭に批判した。
シャローム・ハルトマン研究所のリサーチ・フェローで、宗教思想に詳しいトメル・ペルシコ氏は、宗教シオニズム信奉者の中でも、より活発に、より過激に活動する勢力を「宗教原理主義者」と呼び、実は人口比ではイスラエル国内の宗教原理主義者は多くないと指摘する。
「宗教シオニズム信奉者の80%は、おそらく中流階級のブルジョワ的なイスラエル人です。イスラエル全体がもっと宗教的になればいいと願ってはいますが、自分自身でそのために何かを実践して生きているわけではない。しかし、残りの20%は『宗教原理主義者』です。彼らは、守るべき伝統というものを、自分たちが本質的であるとみなすごく一部の要素にまで凝縮させてしまっている。2000年前に正しかったことは今日も正しいという確固たる歴史観を持ち、それを現在のイスラエルにおいて実現しようとするメシア主義的思想を抱いている人々です。
そもそも宗教シオニスト自体が全ユダヤ人人口の12〜13%程度に過ぎません。そのうちの2割なので、原理主義者は実数で言えば20万~30万人程度です。ところが今の政権では、そのような少数派が、かつて手にしたことのない権力を握ったのです」
この4年間で、宗教極右による過激なレトリックは、イスラエルにおける言論空間のメインストリームの1つになったと言っても過言ではない。特に23年10月のハマスの攻撃以降、2人の極右閣僚の過激発言に呼応するように、入植者によるパレスチナ人への暴力も日常茶飯事となった。
24年1月に開かれた極右集会で、ベングビール氏は、「今こそが“家”に帰る時なのだ。今こそがエレツ・イスラエル(※「イスラエルの土地」の意)に戻る時なのだ。今こそが再入植を促す時なのだ。今こそがテロリストたちに罰を与える時なのだ。今こそが勝利する時なのだ」と呼びかけ、その後も西岸の入植地は拡大した。
アラブ系ユダヤ人として生まれ、14歳で急進思想に傾倒
宗教原理主義勢力を代表するベングビール氏やスモトリッチ氏とは、何者なのだろうか。まずは過激なパフォーマンスで知られるベングビール氏の思想遍歴を辿る。
アラブへの敵対心を剥き出しにし、パレスチナ人に対し過激な発言をするベングビール氏だが、実は本人の家系もアラブの出身だ。同氏は1976年、エルサレム郊外のメバセレト・ツィオンで、中東のアラブ諸国からイスラエルに移り住んだミズラヒ系ユダヤ人の両親のもとに生まれた。ミズラヒ系とは、ヘブライ語で「東」を意味し、アラブ諸国やモロッコなどに出自を持つユダヤ人を意味する。ベングビール氏は、12歳ごろに宗教心が芽生え、14歳で急進的になったとされる。