<span>採用の基準は、なぜスキルではなく偏愛なのか</span>
(Gun/Shutterstock.com)

AIが仕事の中に入り込み、人間が担ってきたスキルを次々と代替するようになれば、企業はどんな人を採るべきなのか。これまで重視されてきた職歴や経験、専門スキルといった「採用要件」はAIに置き換わっていく。そこで重要になるのが、誰もまだ値段をつけていない悩みに執着する「偏愛」だ。AI時代に企業が見るべき人材の価値とは何か。著者自身の採用の成功と失敗を振り返りながら、新しい採用の基準を考える。

要件に合わない人を、私は強引に採った

 前回、評価制度はAIによって壊れるのではなく、AIによって初めて完成すると書いた。理想の設計図は70年前からあり、人の認知限界だけが実装を阻んでいた。その限界が外れる。だから合理的な評価はAIに任せ、合理を越えて期待をかけることが人間の仕事になる、と。

 すると、次の問いが立ち上がる。そもそも誰を社員として迎え入れるのか。採用の話だ。

 ただしこの回で問うのは、給料の出どころである。面接の技術でも求人票の書き方でもない。社員に払う給料は、その人の仕事に顧客が払う対価から成り立つ。だとすれば採用の基準は、顧客が対価を払う理由と一致する。しかし、求人票に並ぶ要件(基準)と、顧客が払う理由は、まったく別のものを指しているようにみえる。

 顧客から採用を見ると、基準の名前が変わる。それをここでは「偏愛」と呼ぶ。性格でも熱意でもない。誰も値段をつけていない悩みに執着できる能力のことだ。

 悩みとは、誰かが困っていることである。自分の願望ではない。誰も値段をつけていない、とは、その困りごとがまだ商品にも仕事にもなっていない、ということだ。執着とは、頼まれてもいないのに、その困りごとから目が離せず、放っておけない癖である。

 大それた話ではない。目の前に暗い顔の人がいる。放っておけない。それも執着である。ただし、笑顔にしてあげたいのではない。その人が自力では解けない問題を抱えている。それを解きたい。解けば結果として相手は喜び、世間は少し良くなる。だがそれは結果であって、動機ではない。愛の向く先が、人ではなく問題に偏っている。だから愛ではなく、偏愛と呼ぶ。

 身もフタもないことを言えば、その先に金がある。稼ぎとは、人の悩みを解いた対価である。他人が放置した難しい問題を解けば、対価は自分に来る。偏愛から始まり、結果として金になる。第1回で、悩みに値段をつける、と書いたのはそのためだ。

 養老孟司は、仕事とは目の前の穴を埋めることだと言った。穴が先に世の中にある、というところまでは同じだ。ただ私は、どの穴を埋めるかは自分で選ぶものだと思っている。偏愛は穴を掘る力ではなく、数ある穴のうち、どの穴から目を離せなくなるかという偏りのことだ。

 スマートニュースで営業組織を立ち上げていたときのことだ。

 小さな広告会社の、若い営業マネージャーが応募してきた。求人票に書いた採用要件には、まるで合っていない人物だった。事業会社の経験もなければ、我々が扱おうとしていた商材の知見もない。要件との照合表を作れば、空欄のほうが多かっただろう。

 それでも、話しているうちに、いくつかのことがわかってきた。彼は営業として与えられたノルマを、一度も外していなかった。部下から慕われていた。話していて、嫌なところや意地悪なところが何もなかった。人の話を素直に聞くことができた。

 何より、当時まだ一般的に知られていなかったスマートニュースを見つけて、自分から話を聞きに来た。世の中の誰も、この会社に値段をつけていなかった。その会社を、彼は見つけたのだ。彼が解きたがっていた問題は、扱う商材でも肩書きでもない。誰も値段をつけていないものを見つけて、そこに自分の時間を賭けることだった。向かう先が悩みであれ会社であれ、値段のついていないほうへ寄っていく。それが偏愛の形である。

 当時のスマートニュースの採用手続きは、面接が5回。執行役員と取締役の全員と会うことが必要だった。面接結果は割れた。賛成は私を含めて三人、反対が二人。要件を満たしていないのだから見送るべきだ、というのが反対の理由である。手続きとしては、まったく正しい。求人票に要件を書き、その要件で候補者を測り、満たさない者を見送る。二人とも間違ったことはしていない。

 私は反論した。いまこのフェーズで必要なのはリスクを取れる人間であり、数字を外していないという事実であり、変化に対応できる素直さである、と。そして反対を押し切って採った。

 結果として、彼は成果を挙げた。

 私はこの話をずいぶん長いあいだ「例外」として記憶していた。要件どおりに採るのが原則で、たまたま自分の勘が当たった例外だと。だがAIが仕事に入ってきて、職務というものを一行ずつ書き出す作業を毎日やるようになってから、順序が逆であることに気づいた。あれは例外ではない。採用要件というものの限界が、あの日、可視化されていたのだと。

採用要件で満点、それでも成果を挙げられない理由

 これまで、数多くの面接を経て採用要件で満点がついた人を迎え、立ち上げのフェーズで成果が出なかったことが、何度もある。それは、迎えた人の問題ではなく、採った私が要件を読み違えたのだ。これには二つのパターンがある。

 一つめは、全てに丸がつく人を、それだけで完璧だと思い込むことだ。学生時代からプログラミングに習熟し、スタートアップの初期メンバーを経験し、コンサルティングファームでITの仕事をしてきた——そういう人がいる。プログラミングもわかり、スタートアップのカルチャーもわかり、経営もわかっている。採用要件のどの行にも丸がつく。だが全てに丸がつくというのは、どれも平均点かそれ以上、というだけを意味している。図抜けた一つがあるかどうかは、丸の数からはわからない。

 学生時代なら、全科目が優秀ということはありうる。範囲が有限だからである。しかし仕事になると、範囲が格段に広がる。業務として、開発、営業、マーケティング、経理、財務、人事がある。個人の能力として、ピープルマネジメント、リーダーシップ、起業家精神がある。これらすべてを高い水準で獲得するのは、時間がかかるし現実的でない。

 コップに喩えよう。多くのコップに少しずつ水が入っている人と、一つのコップから水が溢れている人。仕事の現場で価値を生むのは、後者である。すべてできる、という状態は、実際にすべてできるのだろう。しかし、できた結果は仕事で求める水準に達しているのだろうか。求める水準に達しないものは、成果物とは呼ばない。それは仕事をした証拠であって、仕事の結果ではない。

 二つめは、溢れているコップを見つけたのに、その水が要らない仕事を任せることである。ある領域で高い評価を得ている人を、社外から責任者として迎えたことが何度かある。経営の経験があり、弁が立ち、顧客から厚い信頼を得ている。それでも、結果が出ないことがある。何を売り物とし、どう売り、誰が売るのかを考え抜いて結果を出すこと。それと、顧客から信頼されることとは別の仕事である。私はその二つを地続きのものとして捉えていた。図抜けた一つは、たしかにあった。その水が効かない仕事を任せたのが、私である。

 どちらの場合も、足りない人を採ったのではない。要件は満たしていた。読み違えたのは、採用要件に隠された意味のほうである。

採用要件は、なぜ永遠に未熟なのか

 ここで、採用要件そのものを疑わなければならない。

 完璧な採用要件は存在しない。会社が変化し続けている以上、要件は書いた瞬間から古びていくからである。これは、要件を作った人が怠慢だからではない。真剣に考えて作っても、未熟なものにしかならない。逆に言えば、3年前の採用要件が今も完璧に当てはまる会社があるとすれば、それは要件がよくできているのではない。会社のほうが止まっている。

 この一点を認めるだけで、採用の風景が変わる。要件との照合が精密になればなるほど、我々は過去の会社に合う人を精密に選んでいることになる。スマートニュースの5回の面接で、要件と照合して見送るべきだと判断した役員たちは、手続きを正しく踏んで、その要件が書かれた時点の会社に合う人を選ぼうとしていた。

 要件が古びるという話とは別に、採用要件そのものの予測力についても、蓄積がある。人材採用などの研究における世界的権威とされる心理学者のポール・サケットらが2022年に学術誌ジャーナル・オブ・アプライド・サイコロジーに発表した論文「人事選抜における妥当性のメタ分析推定値の再検討」(“Revisiting Meta-Analytic Estimates of Validity in Personnel Selection: Addressing Systematic Overcorrection for Restriction of Range”)は、それまでの研究が範囲制限という統計的な補正を過大にかけていたことを示し、主要な採用手法の予測妥当性を軒並み下方修正した――というとえらく難しく聞こえるだろうから、簡単に言い換えると次のようなことである。

 採用がうまくいったかどうかを調べるにあたって、従来の手法は正確ではなかったのではないか、たとえばどうしても採用された人だけを対象にしてしまう(範囲制限)けれど、本当は落とした人のほうが優秀だった可能性もある、これでは採用手法の良し悪しを判断するのには不十分ではないか、という考えのもと、採用手法を評価しなおしたのだ。

 その結果、職務経験の年数が入社後の成果を予測する力は、.18から.07へ下がっている。旧来の推定が在職者の勤続年数を含んでいたのに対し、こちらは採用時点までの経験だけを見たものだ。ほぼゼロである。求人票にいちばん書きやすく、照合表でいちばん埋めやすい行が、成果をほとんど予測していない。これは多くの企業の採用基準についての考えを根底から覆すくらいのインパクトがある話である。

 そして、AIがこの構造に第二の打撃を与える。

 採用要件に書ける項目とは、突き詰めれば証明可能なスキルである。何ができるか。何を作れるか。どのプログラミング言語を書けるか。どの業界の経験があるか。書けるからこそ測れる。測れるからこそ合議にかけられる。そして、証明可能であるとは、過去の結果から導かれるということでもある。証明の材料は、過去にしかない。

 第1回の最後に、業務×モデル表というものを提示した。自分の部署の仕事を一覧にし、それぞれが何をどこまでやる仕事なのかを書き出して、どのモデルに任せられるかを並べる表である。AIは、職務定義を持たない組織には配置できないからだ。あの表を実際に作ってみると、証明可能なスキルの大半がAIの列へ移っていく。仕事の中身から見ると、採用要件に書ける項目と、AIが埋めていく列は、ほとんど同じものだ。

 値段から見ても、同じことが起きている。第1回で書いたとおり、私が契約している月200ドルのAIについて、直近30日の作業ログを公表単価で換算すると、実際に払っている額の43倍になった。開発も、調査も、資料も、文章の下ごしらえも、経理の整理も、平均点かそれ以下で一通りこなす仕事は、この価格帯に入ったということである。多くのコップに少しずつ水が入っている状態は、いまや月200ドルで買える。

 だから採用要件は、二つの理由で効かなくなる。一つは、会社の変化に遅れること。もう一つは、書けた項目から順に、人間の価値ではなくなっていくことだ。証明できるものほど安く、証明できないものほど高い。この逆転が、いま起きている。

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

注目の特集

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの電子書籍

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する